日記

昨日、ある方の闘病日記に出会いました。
IGをはじめた頃に何回か写真をお見かけしたことがある人。
フォローはしなかったけれど、かっこいい写真だなあと思ってみていたから
覚えていました。
写真はとってもかっこいいまま、でもコメントは闘病日記になっていて、
最後の写真には、ありがとう、とのコメントだけ。
気になってコメントを開いてみたら、もうご本人からのお返事はなく、
そのかわり、途中にお友達から、彼はなくなりました、と書いてあった。
知らないのに、とっても胸が詰まりました。
ブログの日記には、生きていきたい、ということが本当に切実に
確かな言葉で書かれていました。
才能のある一人の職人さんの広告用ではない日々の記録、見た風景、感じたことのかけら、
日々の普通のちょっとした希望が静かに書かれているのや
知っている人たちとのコメントがやり取りされているのを読んでいると、
IGで毎日見るまだ出会っていない、出会えるかもしれない人かと思うくらいなのに。
こんな表現は不謹慎なのはわかっているけれど、まるで映画のようで、
でもそれは、これは特別なことではなく、誰にでも起きる可能性のあること。
生きていくってなんなんだろうって久しぶりに思いました。
死ぬ勇気を生きる勇気に変えていきたい、と書いてあったのに。
もちろん、ご家族友人には大きな大きなものを
残し、与えて、人生を終えられたのだと思う。
生きたい気持ちでいっぱいだっただろうし、悔しい気持ちでいっぱいだと思う。
けれど、ここで見知らぬ私が、悲しい気持ちになりながらも、
ああ、がんばらなければ、と深い深いところで思わせてもらっていることに、
月並みだけど、本当にありがとうの気持ちでいっぱいです。
わたしは入院も短かったし、闘病らしい闘病はしていないので
そのときの日記をほとんど残していません。
でもそれは不安を書きのこしたら、本当になってしまうのが怖かったからかもしれない。
不安を抱えながらの日記は残っているけれど。
だからよけいあんなにも書き残してらっしゃることが
胸に詰まる。
読んでいて、不快に感じることがあったらごめんなさい。
でも、これは書き残しておきたかった私の気持ちです。