Apple Watch

去年の終わり頃に、apple watchを導入しました。
私みたいに通勤は徒歩で、通常でもあまり外出しない人間には本当に必要ないのだけど、思えばこの数年新しいデバイスには無縁だったし、その間に世の中は進化していて、コロナウイルスのせいでキャッシュレスが進み、運動不足にもなっているので、物ではあるけど、経験や日常の変化をもたらしてくれそうなもの、という期待を持って購入しました。
とはいえ、これでなにができるのか、実はあまり調べないで買ってしまって、apple payとsuica(関西だからICOCAだけど)はiPhoneより便利そうだし、それと時計機能だけだったとしてもまあいい!という気持ちだったのですが、、、、

目論見通り、乗車はとても便利。(あんまり使わないけど。涙)
それ以外には、時計としてアラームやタイマーとして便利。(普通)
iPhoneのカメラのリモコンとして使えるけど、多分使わない。
apple musicは登録してないので、実感がない。
Air podsのボリュームが調整できて便利。
電話は取り逃すことがあるので結構便利(とはいえあんまり電話かかってこない)
手を洗うとすぐに感知して20秒カウントしてくる。(ちょっとうるさい)

それ以外の大きな役目というと、アクティビティといって行動を監視してくれること。
毎日の運動量の目標を登録しておくと、それをやいやいとうるさくいってくる。

わたしは本当にミニマムなタスクすら達成できなくて、全くつけない日も多いので、「昨日は冴えない1日でしたね」「今日こそは頑張りましょうね」「時間を見て動きましょう」など、時計に口煩く言われている次第ですが、これがなかったらそんな自覚もなく過ごすのだから少しは役に立っているかもしれません。
時計がうるさいし、散歩に行こうかな、とかちょっと歩いて買物にいこうかな、と少しは行動が増えています。

朝、ラジオ体操をしようと思ったのもそのおかげかもしれません。

タスクが達成できると、すっごく大袈裟に褒めてくれる。
あとちょっとで達成できそうな時も、あなたならできますよ!とくすぐってくる。

かれこれ3ヶ月目。
口やかましくてお節介だけど、結構気に入っています。

毎日の習慣


カレンダーを作って販売していますが、私もカレンダーを時々買います。去年はとらやさんのカレンダー。今年もそれと、以前から欲しかったフランスの日めくりカレンダー。日めくりは成功したことがないので不安ですが、これは去年からずっと欲しかったので、多分続きそう。
いや、どうかな。
でも続かなくてもあるだけでよさそうなので、そのへんは拘らないことにします。
ここ3年間の反省からもっと自分自身の時間を大切にしないとなあ、と思っています。この3年はほぼ目一杯仕事のことを詰め込んで、開いた隙間に趣味のことを詰め込んできたから、今の自分を大切にする余裕はありませんでした。
日記をかけないでいたのがそれにあたるのかな、と思います。
あとは香りを楽しむこともほとんどしてこなかった。
それもこれも医院を継いだ直後でいろいろ山積していたからだったと思います。

なので、まだ2日目だけど、朝、いつもよりちょっと丁寧にお茶をいれて、youtubeのラジオ体操を見ながら体操して、夜は眠る前にストレッチをする。
それが1ヶ月うまくいったら、次のステップに進みたい。

2018年、2019年は仕事仕事でほとんど日記に残していないので、少し振り返りたい。
2018年は「つくりら」の連載があったおかげで毎月なにかを作りつづることができたのが本当にありがたかった。
2019年は夏頃までほぼ無活動だったけど、「casual hand lettering life」(主婦の友社)の取材があって、そのおかげでワークショップもあって、動くことができ、それが「amenote」へと繋がりました。
2020年はコロナ禍で翻弄されて終わったかもしれなかったけれど、コロナ前に決まっていた「amenote」のおかげで執筆、制作ができ、数年ぶりに個展もできて、本当に「amenote」さまさまでした。

2021

あけましておめでとうございます。
ものすごく違和感のある言葉。
いつ一年が経ったのか、というくらいの気持ちです。
日記も復活させようさせようと思いながらも、2020年の12月は余裕なく過ごしてしまったので年末年始に総ざらいして、新しい年をスタートさせるんだ!と鼻息荒く思ったりもしましたが、それも叶わず。仕事納めしてから元旦まで、もぬけの殻のように過ごしていました。おかげで、今年のペースが決まったような気もします。

お正月2日目にして元気を取り戻し、家族と過ごすお正月も終わり、今日は明日からの日常に備える1日、、、、だけど、今年は一月かけて考えるくらいでもいいのかもしれない、と思っています。
去年は本当に、先のことしか考えていなかった。少し先には何が必要となるか、なにがなくなりそうか、と材料のことばかり考えた1月2月、その後もそれは続き、本の制作が始まってからも、出来てからもずっとそれは続きました。
そのおかげで、足りなくて困ったものはなかったし、仕事と趣味を両立することもできたけれど、こなしてしまった部分もあるし、最後はかなりすり減ってしまって余裕は一ミリも残ってなかったので、少し反省しています。先の自分のためにがんばることはよかったけれど、今も大切にしないと本末転倒になってしまう。

たくさん、書きたいことはあるので、それが押し流されないように、今年はしばらく日記を中心に過ごしたい。
1日の時間の過ごし方も変えたい。もう次に行かないと、という押し出されるような感覚が去年から強まっています。はっと気づいたら、着ているものは3年くらいアップデートされていなかったり、使っている機器も3、4年前から使い方も変わっていなくて、古くなっていてしないままできないことになっているものが増えていました。
これじゃいけないな〜と思い、秋頃から自分の内側も外側も更新を図っています。

これはそのひとつ。

去年、私は一つ自分に経験を買ってあげました。
絵を買う経験。
絵を買う経験自体は何回目かのことだけど、これはまた違う経験だったと思ってる。

日記

何度も何度も書いているけれど、本当に日記を再開したい。
(そしてやっと取り組めそうな兆し)

なんで日記を書かなくなったのかな、と思い返したら、忙しくなったからなんだけど、とても大事な行為だったはずです。
実際、日記があったから本になった。
SNSのように反応が目に取れない分、モチベーションを保つのが難しいけど、その分静かに向き合えてとても良いのにな。

本は無事に出版され、それに伴って有り難いことに展示を4箇所!でさせてもらい、気付いたら12月になっていました。
コロナウイルス感染拡大のために、仕事柄ずーっと引きこもっていたので、久しぶりの外界!久しぶりの出会いでした。楽しかったなあ。でも、そもそもわたしはもっと長い期間ひきこもっていたのです。医院を継いでからというもの、1年は本当にほとんど遊びに行かずに過ごし、去年はなんだかんだとそのまま忙しくてあまりバランスが取れず、やっと今年はペースを取り戻そう!と意気込んだ矢先だったから、気づいたら2年半くらい引きこもりでした。患者さんは会いに来てくれるから、そのことにすごく救われていたのだけど。

というわけで、日記を再開したいと思う。どうか続きますように。今しか書けないことがたくさんあるのです。

日常

本のことが落ち着き、ちょっと日常が帰ってきたけれど、帰ってきた日常はやっぱりコロナ禍です。当たり前のこと。
それでも、タイミングよく予約ができたので髪を切りに行く以外で初めて大阪に。
器の販売と、ジャムの販売。

インスタグラムを見ていると、最近は人気作家さんの販売は事前予約制になっていることが多く、それならコロナ関係なしでもちょうどいいかも、と思っていた矢先でした。
仕事が終わってだらだらインスタグラムを見ていたら、ずっといつか欲しかった佐藤さんの個展の案内。沖縄在住の作家さんで、なかなか作品に出会えないのです。しかも、土曜の夕方なら仕事の後に行ける!運良く申込めて、しめしめと思っていたら、数日後dieciさんのアカウントが、こちらも買えないジャムの予約の案内。しかも同じ日。
そして二つのお店は徒歩圏内。
運良く両方の予約を完了し、ウキウキとして土曜日を待っていました。
職業柄、コロナウイルスのおかげで外食や不要不急の外出は相変わらず自粛していて、県を跨がないようにもしています。でもどちらも感染対策はされているようだし、道中にもそんなに心配はない時間帯だったから、思い切ってえーいと。
でも、この夏の厳しさを忘れていました、、、、
思いがけずラバーダックが見れたのも嬉しい。(しかし暑かった)
dieci cafeは初めて個展をさせてもらった場所だから、やっぱりとても好き。顔なじみの人たちにも久しぶりに会えて(インスタで見ているので、そんなに久しぶりと思わないのも不思議)楽しかった。
そう、この日は患者さんと家族ではないひとたちにたくさん会えて、本当に嬉しかった。
コロナ以前に、開業してから2年間は本当に引きこもりがち(しないといけないことが多くて、なかなかアクティブになれない)で、やっと今年はそんな時間を取り戻していくぞーと思った矢先にコロナウイルス、そして本の製作。
引きこもり生活は慣れているから、それほど苦ではないけど、でもいつか終わるもの、の感覚があります。忙しいから引きこもっている感覚がどこかしらにあるので、本が(ほぼ)終わったら日常に戻れるような誤解をしていたかもしれない。
そうでした、私の非日常は少し終わったけど、世界は非日常のままでした。
でも、少しずつ変わっていくだろうから、その感覚もちゃんと身に付けておきたい。