暖かい一日

今日は久しぶりに暖かい一日で、ようやく身を縮こまらせて歩かなくて済んだ。
先週から久しぶりに調子の悪い日が続いて、沈みがちだったからとても嬉しい。
ちょっと前だったらこのくらいのことで沈んだりしなかっただろうから、そういう意味では元気になってきてるんだろうな、と思うことにする。
とはいえ、しんどい、というのはどうしたって辛い。
頭が痛くてもおなかが痛くても辛いけど、しんどい、というのは
薬でも休んでもすぐにどうにもならないから、しんどいのが一番きらいです。
これまでは少々しんどくても眠れば良くなったから、平気だったけれど、
眠ってもよくならないことがあるのを知ってしまってからは、多分怖いのだと思う。
そして、眠れないかもしれない、と思うことも手伝って怖くなる。
そんな病気がちになっている自分を、やーねー、と客観的に思ってる自分がいる間は
まあ大丈夫かなあと思いながらやり過ごしています。
元気なときは元気だし、元気なときしか人に会わないし、
無理そうな約束はしないし、家族でも本当にだめなところは見せたくないから
きっと周りの人たちもどうなってるんだろうと思ってるだろうなあと思うのだけど、
いつかすっかりとよくなるだろうと、どこかで楽観的に思っているから
少々いろんなことがあって辛くても、基本的には我慢をして
余裕があるときは、調子がよくないことを、言葉は悪いですが、楽しんでいます。

そんな中でも今日は、何となく嬉しいことがいくつもあって、
機嫌のよい一日でした。
IGにもかいたけれど、気持ちを共有できる、ということは本当に嬉しい。
逆に言えば、気持ちを共有したい人とできないことほど悲しいことはない。
共感、と書いてしまうとなんだかちょっと違って、sympathy ではなくてshare 。
気持ちが通じる、というのはわたしにとってはshareできる人なのだと思う。
相手の思いや気持ちが流れ込んでくるような瞬間。
同じ経験をした人にしかわからないことがある。
どんな言葉を重ねて、説明して、想像してもらってもわかってもらえないこと、
どんなに聞いても、想像しても、わからないことがある。
残念なことに、私は母を少し早くに失ってしまった経験をしたから
そのことについて、経験した人にしかわからない思いがある。
自分自身が体を悪くしたから、そのことについて経験した人にしかわからない思いがある。
そんなことは他の人にもたくさんたくさんあるだろうけど、
私が知らない経験はたくさんあるだろうけれど、
でも、この思いを共有できたかのように思える瞬間は救い、としか表現できない。
そういうとき言葉はいらなくて、本当にお互いに一瞬言葉にならない思いが通じ合うのだと思う。
そして、年齢に関係なく、経験してなくてもそんな思いを受け止めることができる人と
できない人がいることも知った。
これってなんなんだろうなあ、、、
そして気をつけないと、わたしは経験していないことに関しては後者になりがちです。
相手の病んでいる部分に気づかないでいてくれる人は
それはそれで救いなときもあるのだけど。
”ぼくは現実の世界で、あなたとのように自分の世界をshareできる人を捜しているんだ。”
普段、長い文章のやり取りは滅多にしないタイにいる友人があるとき
思い詰めたようにそう書いてくれたことを思い出した。
そのとき、you are my wingと彼は書いてくれたのだけど、
それはわたしたちが好きなサモトラケのニケを思い浮かべたのだろうなあと
想像することができたし、わたしも同じように思っていて、本当に嬉しくて
出会えたことを心から感謝したことを思い出した。
share
いい言葉だなあ。
はやく春が来ないかな。
春の次には夏がくるけど、それでもいいからはやく春が来ないかな。
もう冬はちょっとつらい。