さくら

桜がほぼ満開ですが、どうもお天気がよくなく、
今日も今にも雨が降り出しそうです。
昨日は前日の雨に耐え忍んで、すこしふんにゃりした雰囲気のある
満開間近の写真を撮りにいけました。
(といっても近場だけど)
私はIGでは基本的にiPhoneのカメラしか使いませんが
写真はカメラで撮っています。(なんのこっちゃ)
でももっと真剣にカメラをしている人とお話をしていると、
わたしはそこまで真剣に写真をとってないや、、、と恥ずかしくなる。
自分で写真が上手だと思っていませんが、でもまあ、カメラ歴だけは長いから、
それなりに自分の写真みたいなものはあるかなあ、くらいには思っています。
そして、カメラが撮ってくれた写真と、自分が撮った写真の違い、みたいなものも
なんとなく理解しているつもりです。
厳密に判断しているわけではないけれど、
上手にとれた写真、はそれはそれで嬉しいですが、
まあ、それはカメラが撮ってくれた写真だと思うし、
そもそも上手に撮れたなあと思うということは、
きっとなにかに似ているのではないかな、と思っています。
(簡単にいうと、カメラの性能が良ければ、前ボケや後ろボケの写真が撮れて、
それだけでまあちょっとよく見える、というのに似ています)
写真を始めた頃から、カメラサークルとかカメラ教室に通ったこともなく、
ラボにいったこともなく、カメラ屋さんになじみがあるわけでもないので、
ガラパゴス諸島のような写真を撮り続けているような気がします。
写真は記録です、とカメラ日和の取材の質問にこたえたように、
私にとって写真は記憶の記録です。
上手く撮るのではなく、自分がきれいだなあ、撮りたいなあ、記録したいなあと
思ったものが写ればいいな、と願って写真を撮っています。
撮った写真は、その場でモニターで確認することはあまりなく、
週に一度くらいまとめて取り込んで、そのときに好きな物にフラグをつけておき、
さらに月に一度くらいさらに見直して選んでおく、という作業をしています。
息をこらして撮った写真は、上手く撮れていなくても、そこには
その時の気持ちや記憶が記録されているような気がします。
そして、その息をこらした感じ、は今つかっているこのカメラの力を
ものすごーーーーく借りていることも自覚しているのですが。