2月

2月。気持ち的にはやっと2月。
1月長かった。何もしてないのに長かった。
何もしてないことないか。予想通り緊急事態宣言が出され、また仕事の進め方を考えないといけなくなり、2回目なので去年の轍は踏みたくないし、今回の方がよっぽどリスクが近づいているので、わたしは少し立ち止まる道を選んでいます。

仕事はしているけれど、必要なことを安全に行える範囲にしている感じ。
そのためにできた時間は、去年手のひらから溢れて落ちたままのあれこれを地道に整理しながら、休みの日はしっかり休む、したいことを目いっぱいする、というのを試してみていました。
心ゆくまで絵を書いたり、写真を撮ったり、模様替えしたり、書類整理したり、テレビ見たり、漫画読んだり。
そういうにはたいてい現実逃避的にしていたので、どこか落ち着かない気持ちでしてたけど、思う存分したらいいよ!な感じでしてみていました。1月いっぱいだけど、気が済むまでやっていいよ、と自分にゆるして、何をして何に満足して、何が楽しくて何が嫌いかもっと知りたかった。
1月が終わった今、目一杯遊ぶ時期は終わってしまったけど、わたしが好きな生活、というのがちょっと体感できた気分です。
リズム良く、ある程度ルーティンに過ごしたい。仕事も好きだし、毎日の生活もちゃんとしたいし、丁寧に暮らしたいし、趣味のこともしたい。
コントロールが効いた生活がしたい。
じゃあ、どうしたらいいのか、は今月のわたしが考える番です。

そんな中導入したのがこれ。
Nintendo switch のリングフィットアドベンチャー。人生初のゲーム機!まさかこんなの買うことになるなんてなあ、とちょっとびっくりしています。子供の頃にゲーム機を買ってもらえなかったので、うまく使えなくてそのままゲームのない人生でした。
とにかく運動不足で、このままだといけない、と色んな意味で実感してジムかトレーニングに通いたいけど、コロナ禍の今、人と接する機会を増やすのも嫌で、そしたらこれじゃないか、と思いついたのでした。半年続いたら投資分はジムに行ったお金として相殺される算段。
今のところ6日目を終え、順調です。
お手本を見せてくれるミブリさんと、アドベンチャーの相棒のリングコンが優しいので頑張れています。
ゲームが下手で上手くいかないことも多いけど、そのうち慣れそう。
なぜか汗はまったくかかないけど、2、3日目は筋肉痛に苦しみ、4日目からはそれも和らぎ、ちょびっと負荷を増やして頑張っています。
3ヶ月後に卒業のお知らせができますように。

THINGS I LOVE:file box

愛用しているもののこと。
これは書類ケースで、薄い木でできています。中には、ひとつはこれまでのノート、もう一つには押し花を包んだものをストックしています。
もういくつか欲しいところだけど、多分もう買えないもの。
3年前、医院の改装をするときに、父が処分するものとしてまとめていたゴミの山からそっと救出して自分のものにしました。そんなものが、あと3つくらいある。
日本製で、論文をストックするものらしい。文献整理函と書いてある。
とても良い出来で、いまはこんなものはないのかなあと思う。
背のデザインも、タグをいれる金具も、引っ張る金具も非常に好み。

時々思う。
これを処分する時っていつなんだろう。

今はまだまだずっと大事にしている私が海外から持ち帰ったもの、日本まで流れ着いた古いもの、そんなものの行く末も。

January

あっという間に毎週が過ぎていってちょっと怖い。でも、まだ1月は1週間ある。
日めくりカレンダーは毎日は捲らなくても、木曜、土曜はめくれるのでいい感じ。このペースだと、わたしは木曜日と週末だけを意識していたら十分みたいです。
週末の土日は二日一緒のデザインで、こんな感じ。これがとても好きなので、ああ、また1週間経ったのか〜、と嫌になる気持ちが軽減されています。いまのところ。
いいことです。
でもそれもきっとそのうち飽きるんです。それも知っている。

わたしはお餅が大好きで。七味醤油に焼きのり、が一番好き。
家族から分けてもらったお餅では足りなくて、ついに買い足してしまった。
でも、お餅って太るんですよね。ここ2年で体重が元に戻って行き過ぎたくらいだから好きなだけは食べてはいけない。
6年くらい前から2年前くらいまでの4年間、とっても細かった。
久しぶりに会う人にはちょっと驚かれるくらいで、むしろどう接してくれるかでその人となりが感じられた気がしてそれはそれで面白かった。結局病名ははっきりつかなかったけど逆流性食道炎のような症状が続いて、あんまり食べられなかった時期が2年くらい続いていました。症状がましになっても2年くらいは細いままでちょうどよかったのに、、、、と、今となっては後半の2年が少し恋しい。
その時感じたのは、痩せた太ったと久しぶりに会う人に言うべきではないということ。体重が増減するのはそれなりの理由があり、本人がダイエットしていると言ってない限り、あまりよくない事情も含まれていたりするから。
その頃、そっと見守って、ちょっと会話がほぐれてきた頃合いに、調子はどう?とか、こういう食べ物もいいよ、とかさりげなく教えてくれた人たちの心優しさに今も感謝しています。わたしもそうありたい。
(太った太った、と悲しんでいた人がすっきりしていたら、痩せた?って聞いてあげるのは大賛成)

1月は自分にあまりプレッシャーをかけないで過ごそうと決めています。
仕事はちょっとひまです。
それも12月から予想ができていたので、まあそんなものかな、と思っています。緊急事態宣言が出ているので、定期検診を積極的に呼び掛けないし、患者さんも控えているようなので、当然暇になるし、それでいいのだと思っています。
歯科医院は(術者の)感染リスクが高い、と言われていましたが、実際のところはわかりません。ウイルスを持っている人の治療をしたら私が感染するリスクは高いだろうな、と思います。問診を積極的にしているけれど、無症状の感染がある以上、そのあたりはお手上げで、運を天に任せるしかありません。
術者から患者さんに感染するリスクはとても低いと思います。患者さんはマスクを外して入るけど、私はずっとマスクとフェイスガードをしているし、あまり喋らないし、飲食もしない。消毒や清掃はこれまで以上にしているし、専用の吸引機も使っているし、道具もこれを機に新しいものに変更したりしています。
去年感染が広がり始めた頃は、なにもかもが手探りで情報もあまりなく、本当に途方に暮れましたが、感染対策をしながらお一人ずつの予約で治療する分には患者さんの安全は守られているんじゃないと思えてきたので、少しだけ気が楽です。
とはいえ、感染状況に右往左往してしまいますが、何かあった時にもある程度安心して通院してもらえる状況を続けることがいま私にできる最善だと信じて、経営のこととか今後のとか、そういうのは脇に置くことにしています。
小さな医院でよかった。そう思っています。

去年の非常事態宣言のときは、毎日が嵐のような心境だったので、とてもじゃないけどステイホームな心持ちではなかった。休業要請が出なかったから通常の診療を続けなければいけなかった。もちろん、休むという選択肢もあったけど、新米院長にはそんな決定をする勇気はなくて、感染が始まる前から継続中の治療のみを患者さんと相談して続ける、という道を選びました。
そしてそのかたわらで、本を作っていました。
その頃は、わたしは過去のものを整理して選んで送るのが主な作業で、作っていたのは編集さんとデザイナーさんなのだけど。10年分の写真を見るのはなかなか辛かった。作業としてたくさんだから辛いのではなくて、そこには振り返りたくない過去もあるわけで、夜寝る前にその作業をすると眠れなくなることも多々ありました。
あの選択は間違っていたな、とか、どうしてああしかできなかったんだろう、とか、あの時は本当に楽しかったなあ(涙)とか。まあ、状況が状況なのでいいことよりも悪いことばかりに目がいく。
そんな気持ちを露知らず(と思うけど、どうかわからない)の、制作メンバーがよいところを掬い取ってくれてできたのがamenoteです。
本を作っていた時のことはほとんど書き留めていないので、この日記に少しずつ書けたらいいな、と思っています。

本文と写真が無関係に進んでいるけど、これは今日の部屋のヒヤシンス。気がつくと開花直前でした。
もうそろそろ慣れてもいいはずなのに、やっぱり変わらずたまらない気持ちになる。今日のこの姿は今だけ。咲きかける直前の美しさも、咲きかけも、満開も、咲き終わりも、ずっと毎日たまらない。

すべてのことも同じ。
この光、この並び、この会話、この気持ち。
ヒヤシンスはわかりやすくそのことを教えてくれているのだと思う。

1月は勤めてゆっくりしてなにをしているかというと、どんな風に過ごすのが理想なのかできる範囲で実体験してみています。
好きなものに囲まれて、それを楽しむ。
好きなものってなに?楽しむってどう?
それがわかったら、それを続けられる方法を考えられる。
3年ほど自分のことを後回しにして、そういう感覚を忘れて機械的に生きている部分が増えているので、自分の部屋や生活を新しい目で見るようにしています。
当たり前のお茶の時間。もう日常になってしまった特別な香りや美しいもの。
積み重なって普通になった姿もいいけれど、もう一度特別な感じを取り戻したい。

これは2週間くらい前の写真。
整理中に椅子の上に積み上がったものの感じがたまらなく好きで撮った一枚。
とはいえ、これがどうたまらなかったのか、実は今日の私はもう少し忘れかけてます。椅子の上のものはそりゃ素敵だけど、背景含めていいなあ〜と思ったはずなのです。今は、むむむ、ごちゃごちゃしているなあ、と思う。笑。
なので、こういうのがちゃんと自覚して日常になったらいいな、と思って過ごしています。うまくいえないけど。

過去のこと

あまり良い習慣ではないのは自覚しているけれど、ここ数年、目が覚めたらまずIGを見ている。もしくは、日付が変わった夜中に。
それは過去の今日の写真を見せてくれるからです。

ちなみに7年前の今日は沖縄で桜を見ていたと教えてくれました。
(投稿のタイミングでタイムラグがあると思うけど)
それを見るのが好きなのです。
自分で振り返るのとはまた違う感じがするからかな。
ああ、そんなことがあったなあ!と思うのも、この出会いがああなるのか、とか、この時の経験が、、、って実感するのが面白い。
ここ数年の私は過去の自分の後押しで生きている気がする。みんなそうだと思うけど。
そんな過去をピックアップしてまたストーリーにあげるのだけど、そういうときは過去の出来事や自分に感謝するようなものだけにしています。
このときの自分に今の出来事を教えてあげたい!って思うようなこと。
もちろん、そんなことばかりでできているわけではないです。
失敗のままの失敗もあるし、素晴らしい出会いにだって別れはあるし、忘れたいような思い出もある。
でも、いいことは続いていくんだな、と当たり前のことに気付きました。
こうして振り返れば、嫌なことのほとんどはとりあえず終わっている。
残念に思ったり、悲しく思うことももちろんあるけれど、それも含めて、時間が経つ以上過ぎ去っていく、というのは心強いことです。
今、辛いことや嫌なこと、もやもやしていることも、生きてさえいれば数年先には思い出だということです。
おそらくこのコロナウイルスの日々でさえ。
それを、どうにか「あの時は大変だったねえ」と言って振り返りたいと心から願っています。そうならない可能性はすべての人にあるのだから。

最近は少し気を付けて写真を撮っています。
気を付けて、というか、気を配って。
カメラを6年ぶりくらいに変えました。機種は同じだからレンズも同じだし、使いがてもほぼ同じで、あまりものとして変わった気がしないけれど、レスポンスが全く違うのでドキドキします。
父に貸してもらって以来、ほぼこのカメラで撮ってきました。
去年あたりからちょっと調子が悪く使いにくくなっていて、それは故障だけではない部分もありそうだし、そして気がつけばもう6年くらい使っていて、いろんなことを考えたら買い換えるなら今のタイミングしかないかもなあ、と漠然と感じたのでした。

そういえば去年から私はいろんなものをアップデートしています。
ものは大事に使いたいけれど、新しくしていかないといけないものもあります。
医院のものがそうで、幸いにも(?)父から医院を引き継いだのでほとんどの機器はそのままなのですが、なかには40年以上経っているものもあります。
そんな機械大丈夫?と心配されそうですが、まあ、原理的にシンプルで原始的な機械だから壊れず使い続けているので、治療そのものに使うものだはないのがほとんどです。そしてデザインに関しては40年ものの方が素敵で気に入っていたりも。
ただ、それもさすがに寿命がきます。
そしてコロナ禍のせいで、大幅なアップデートが必要でした。あとになって、補助が出ることになりましたが、そんなものが貰えるとは思えない状況でたくさん買い換えた自分を褒めてあげたい、、、、
そうやっていると、お金をかける、ということの意味が実感できてきます。単にものを買うのではないな、ということ。
覚悟を買うということ。そんなおおげさな、って感じですが。

スマートフォンもまだまだこのままで良いような気もしたのですが、前回変えた時に2年で変更した方がお得なコースにしてしまい(本当に得かどうかは謎)その2年も過ぎ、このタイミングしかないよなーと思って、あまりよく考えないで機種変更をしました。スマートフォンがあってこそのamelaboの活動なので、これは必要経費よ!と(こういうところ、なおしたい)変えたら、けっこう変化していた。
たとえば、暗いところで写真が撮れるようになっていた。
それ以外にもなんかあった気がするけど、X→12の間には進化していて、わたしにとっては、「小さく縮こまらない気概」みたいなものを買ったという部分も含めていい機種変更だったような気がします。

でもまあ、現実なことをいうとカメラかな。
Xにもポートレートはあったけれど、それとは比較にならない自然で美しいカメラで、私のような使い方だと、フルサイズの一眼かスマートフォンか、の2択でよくなった、という気がします。カメラを持ってない時に綺麗に撮れる気がしなくてもう諦めることが多々あったけど、12proになってからは、これでも/これだから撮れる写真を楽しんでいる気がする。


あと20年もしたら、新しいものについていけなくなるだろう、と新しいもの好きの父を横目に思います。
でも、80歳を過ぎてもデジタルにも新しいシステムにも対応している患者さんもいます。だからこそ、今の歳でわからないままにしてしないでいることを減らしておかないとな、と思った次第です。

そんなこんなもすべて、ここ3年くらい、すっごく内向きに生きてきたんだなあとしみじみ思う。開業からの2年とコロナと出版の1年。
ちょっと浦島太郎みたいな気分なのです。
あれ?いつのまに3年も経ってるの?どうしてこれはこんなにもう新しくないの?あれ、知らないうちに結構歳をとったんじゃない?って。

多分その感覚は間違ってないので、今はこの先の10年を楽しむための内外のアップデートの期間だと思っています。




道具のこと

数年、あまりコーヒーが飲めないでいましたが、最近自分で入れても美味しく飲めることに気付いて、時々豆からひいたり、ドリップバッグでコーヒーをいれるようになりました。お気に入りのコーヒースプーンがあったのですが、どうもコーヒーの袋と一緒に処分してしまったようです。大事にしていたのになあ。

そこで活躍しているがこちら。
もう5年くらい前、京都のふるどうぐ市で本田さんから購入したもの。ずっと飾り物でしたが、やっと実用しています。
もともとコーヒーを量るもの、っておっしゃってたとも思うので。

ふるどうぐ市、好きだったなあ。
あまりイベントごとは億劫で出かけないけど、ふるどうぐ市は特別でした。インスタグラムで出会って親しくなった各地の人たちと一度にたくさん会える唯一の機会だったのだな、と今になってわかります。会場も素敵だった。

今はホテルになっている旧立誠小学校。どうなっているのかなあ。
忙しくして京都に行くことが減り、コロナでますますいけなくなって、様子がさっぱりわかりません。

後ろに写っているコーヒーミルはプジョーのG1。これも憧れて憧れて探して購入したものでした。今も現役。コーヒー入れにしているものは比較的最近購入したもの。(といっても一昨年くらい)IGで見て、いいなと思って買ったのは久しぶりでした。
ウレタン仕上げがあまり気に入らないので、これを無垢にできないかなあと、目に入るたびにチラチラ見ています。
でも、きっと理由があってウレタン仕上げなんだろうから、このままにしておこう。
それだけでカッコ良くて機能するって最高だな、と思う。