winter come back

帰ってこなくていいのに、冬が帰ってきた。
覚悟はしていたけれど、雪まで降っていた。
またしばらく寒いのだろうなあ。
もう1ヶ月、毎日カメラで写真を撮っています。
どこがきれいだと思ったのか。
それを再現するにはどこにピントをあてて、
どのくらいぼかして、
どのくらい明るくするか。
画角は苦手な80mm(35mm換算)のまま、絞りと露出を一応考える。
それは、きれいだな、とか、いいな、と思った気持ちを数値化するようで
なんだか楽しい。

一日に10分くらいのそんな時間が楽しいです。
引き出しの写真。
撮るほどのないものでないのはわかっているけど
この引き出しの中は使うたびにちょっと好きだなあと思っています。
試行錯誤の末、落ち着いたこの感じが好きなのかな。
ちゃんと色んなものがここから出て行って、帰ってくる。
使える引き出し。
その感じが映ればいいなあと思って撮った数枚の中の一枚。

調子が悪いとついつい寝ながらiPhoneを触ってしまって
結局余計しんどくなってそのまま寝てしまうパターンで、
ここのところ自己嫌悪に陥っています。
そういえば長いこと本も読んでいない。
と思って本屋に行っても、あまり読みたい本がない。
中学3年生から大学を卒業するまで、私はとても読書家でした。
本当に良く本を読んだ。
だから、読みたい本はあの時代にほとんど読んでしまったし、
読めていない本は、あの頃ですら読めなかったものなので、
今の私に読める自信がない。
ヘミングウェイとかドストエフスキーとか、読んでみたかったのだけど、
だめだった。
サリンジャーとかもだめだった。
翻訳物はとにかくだめで、あとは、安部公房とかもだめだった。
深夜特急とかも読みたかったのになあ。
わたしにとって最後の作家は町田康で、それ以降は川上弘美や、さくら、
の人とかはときどき文庫本を買うことがあるくらい。
若い頃はハッピーエンドな話は嘘くさいと思っていたのに、
いつの頃からか、小説ぐらいハッピーエンドでいいやん、と思うようになってしまったから
最近のはやりの作家さんにはあまり近寄らないようにしています。
でもまあ、本でも読もう、と決めて悩んだ末に手に取ったのは村上春樹でした。
中学3年生のころ、漫画ばっかり読んでる自分が怖くなって
帰り道の芦屋川の本屋さんで、私にも読めそうな小説を探して手に取ったのが
「カンガルー日和」。
正方形の本で、しゃれた装丁で、字が詰まっていなかったのが選んだ理由でした。
でも、あの一冊が「文学少女」にしてくれた。
今思えば、15歳くらいからの10年間、たくさんたくさん吸収した。
自分でもいうのもなんだけど、スポンジのようだった。
たくさんの本を読み、まあまあ映画もよく見て、美術館もよくいった。
おかげで、いまはどれもしなくなってしまったくらいに。
あの頃の集中力が自分にないのが嫌で、もう本も映画も展覧会もあまり見なくなってしまったのです。
残念なことだけど、きっとコップが満たされたのだろう、と思うことにしている。
そんなわけで、夜の時間は本を読むか、せめて日記を書いて過ごそうと思っているわけです。
本の上においたiPhoneには、タイにいる弟のような彼からの写真。
ただいまバカンス中の彼からは、久々にこれでもか、と旅先の写真が送られてくる。
弟のiPhoneで弟のLINEを使って。
私たちは、多分、お互いのことを自分のように思ってるんじゃないかなと思う。
英語が堪能でないので、確かめようがないけれど。
自分がしてあげたいことと、してほしいことが、まるで自分自身のように
ぴったり合っているのだと思う。
言葉でのコミュニケーションは、日本人の友達のそれと比べたらおそらく1/4くらいだけど、
写真と写真と写真とスタンプとスタンプの力はすごいな、と思うのです。
you make me happy.
本当に本当にただただこの言葉につきます。
そして、日本にいる友人達にも励まされっぱなし。
本当にありがとう。