チビ

さて、、、
今年の年明けは、チビがついにあの小道からいなくなってしまったことを
知って始まった、、、といっても過言ではありません。
年末からここのところ会えないなあと気づいていたのですが、
おじちゃんちの敷地の中にいるのかなと思っていたのです。
年越しを旅先で過ごし、どうしてるかなあ、雪降ってるらしいし、
あったかくしてたらいいんだけどなあ、とチビとチビの姉妹のことを思っていました。
そうして帰ってきた年明けの1月4日。
普段は見ないIGの虫眼鏡のページの写真に、なんとなんと、チビそっくりの猫!
見に行ったら、確実にチビで、その人は知ってる人!
チビを飼おうとしている、と聞いていた人です。
まさかIGでこんなことを知ることになるなんて、、、、
と、ちょっとWショックでやれやれな気持ちになりながらも、
事情を知っているであろう人たちに連絡をし、
そしてもうチビに会えないことを受けとめなければいけない、ということを
から私の仕事始めは始まったのです。
”わたしのiPhoneの中はチビでいっぱい。動画のほとんどはチビ。そしてそれを見返すと、少し不遜だったり、偉そうだったりするのですが、どの写真も大好きな顔をしています。
前を通ると、足音をききつけて毎日のように会いに来てくれて、撫でて遊んでもらったり、一緒に散歩したり、溝で追いかけっこしたり、おしっこに付き合わされたり、茂みで昼寝してるのを手を伸ばしてとんとんとして起こしたり、坂の上のうちのマンションまでついてきてくれたり、袋で遊んだり、ときどきおやつをあげて取り合いをしたり、思い出は尽きないです。寒い夜の坂道で出会ってから、毎日ゆっくりゆっくり仲良くなった初めての猫の友達。何回も一緒に暮らすことを考えましたが、たくさんたくさん考えて、気持ち悪くなるくらい考えて、あえなくなることも覚悟して、わたしはチビがもしかしたらうちまで付いてくることを祈って、連れて帰らないことを決断しました。
そしてわたしの勝手な思い入れですが、この小道で、空き地で、のびのびとふてぶてしくそしてとても愛らしく、たくさんの人を手玉に取りながら思うままに生きているチビにたくさん優しくしてもらってたくさん教わり、チビを通じてたくさんの気持ちもご縁ももらいました。チビはわたしにとってずっと初めての猫の友達で、いつかわたしの猫に会うまで、会ったとしてもなお共に過ごしたこの一年のことを思うと思うのです。
ついにこの小道で会うことはなくなってしまいました。本当に本当に寂しいのですが、暖かい場所でくらしていけるのは幸せなこと。だから、友達の幸せを祈る気持ちでいます。そして友人たちが言ってくれたように、わたしのチビはわたしが忘れない限り一緒にいるのだと思っています。”
これは1週間かかってやっとIGに書いた気持ち。
でも、まだ気持ちの整理は付いていないし、そんなものきっとずっと付かないと思います。
だって、チビは友達だったのだから、、、
あの人よりも先にチビを連れて行けばよかったのか、という後悔、
もし連れて行ったとして、わたしの中に残るであろう後味の悪さ、
等しくありたいと願ったチビとの関係、
安心できる環境があるのならば自由でいてほしいと願った気持ちや、
幸せに暮らしてほしいと思った気持ち、
きっとすっきりすることはないだろうなあ、と思うので、
わたしは連れてかえらないことを決断して、
明日会えなくなってもいいように接してきて、
自分が撮ったチビが、覚えているチビが、どれも堂々としていて、
キュートで大好きな顔をしていることを大切にしていたいと思っています。
こう書いたら、たくさんのご意見があると思うけれど、
ここは私の場所だから書いて置こう。
私は長く生きることだけが幸せだと思っていません。
それは猫のことではなく、自分自身の人生としてそう思っています。
だからチビを連れて帰らなかったのです。
そのくらい、あの子はあそこで思うままに暮らしていた、と思っています。
でも、チビはわたしでない誰かに暖かいところに連れて行ってもらったのが
運命なのだから、私は友達の幸せを祈っています。