カレンダー

今日、2016年のカレンダーが完成しました。
日付も手伝ってもらって見直したし、もう完成。
これ以上はもう悩まないで完成にします。
カレンダーの写真を選ぶときのことは繰り返し書いていますが、
もう一度書かせてください、、、、
撮ったときに、その景色を見たときに、これはカレンダーに使おう!と
決めている写真もあります。
撮れてから、(読み込んでから)見直して、これは好きだなあという物は
目的はなく印を付けてストックしています。
基本的にはそこからだいたい秋頃に選び始めます。
残念ながら、画面で見てよくも印刷するとそうでもない物があります。
そして本番の紙はかなりざっくりした物だから、
見本用にプリントアウトしたコピー用紙とはまた雰囲気が違って
せっかく最終選考に残ってもだめというときもあります。
その辺は同じ紙を使い続けて4年目くらいなので、だいたいつかめてきたような気がします。
(それでも好きな写真は諦めきれないから一応印刷します)
まずはコピー用紙に印刷して壁一面に貼っておいて、繰り返し何度も見ます。
朝起きたとき、お昼ご飯のとき、夕方、夜。
それを何日か繰り返したら、なんとなく道筋が見えてくるような気がします。
すっごく好きなのとそうでもないのがはっきりしてくるのと、
その間を埋めてくれる写真が見えてくるのだと思う。
そこから各月のイメージと合うように選んで並べたり、並べ替えたり、差し替えたりを
延々繰り返しながら、候補が決まってきたら本番の紙に印刷し、
また貼って眺めて並べて、、、の繰り返し。
今年は3月の写真を悩みました。
5月の写真も悩みました。
悩んだ末に、3月の写真はもし私が次の年のカレンダーを作れないことがあったりしたら、
この写真をいれなかったことを悔やむだろうな、と大げさなことを思いながら
迷った末に初志貫徹しました。
5月は、ほぼ決まっていたはずの不動の写真を外しました。
出来上がったカレンダーはずいぶん爽やかで、自分で言うのもなんですが透明感のある物になりました。
どの写真も息を止めながら撮った写真ばかりです。
苦しくなりながら撮ったけれど、その苦しさは写ってないなあとかんじたものばかりになりました。
苦しくって苦しくってたまらなかったヒヤシンスの写真は選べなかった。
なんでだろうな。
今年の始めにすっごくきれいな写真が撮れました。
あのときはこれは絶対カレンダーだな、と思ったのですが、
いあいれてみたらそれだけが浮いていました。
そういうものを省いた、日常の景色です。
わざわざではない写真。
そういうのが好きみたいです。