気づいたらひと月日記を書いていない!
記憶喪失の日々は続いていて、昨日より一昨日の記憶の方が明確だったり、
さっきのことを忘れたり、昔のことを思い出したりしています。
真冬の作業だったから、毎日毎朝、これでもかと防寒して仕事をしていたのだけど、
はっとしたらもう町の人たちは一番重たいコートは着てなくて、
先週はちょっと恥ずかしい気持ちになりました。
うっかりダッフルを着てでかけてしまった。
まだまだその渦中にいるけれど、きっと先週がその台風の目の中だったのか、
もしかしたら今がそうなのか。
自分では冷静なつもりなのに、振り返ったらとてもとても冷静でなかったりして
いろいろとショックなような面白いようなそんな毎日です。
一足先にたくさんお花をいただきました。
とーっても綺麗で、ほんとうに嬉しかったけれど、
楽しむ余裕がなく過ぎていくのが切なくて、
春の訪れを感じると、気持ちは焦り、
先週末、久々にとーっても寒くなって少しホッとしたくらい。
そうそう、まだ冬と一緒にがんばりたい。春は晴れやかに迎えたい。
そう思えば思うほど、気持ちも体も硬くなるものです。
とはいえ、この日々はあと少し耐えたら過ぎ去っていくタイプのものではありません。
わかっていたけれど、私はこういう時間を非常事態のように過ごしてしまう癖がある。
どうにかやりきればいい、と思ってしまうけど、
この時間はやり過ごせる長さではないし、やり過ごしてしまったらもったいないから
楽しまないと!と、ちょっと我に返った感じです。
そんなことは先輩が前もって言ってくれてたのになあ。
ということで、久々に土日が休みで、お天気も良く、土曜日を思う存分ダラダラ過ごし、
ちょっと自分を取り戻しています。
そうそう、先は長いからこのくらいの感じで行かないともたないし、
もったいない。
ここ数年は、同じようなことを繰り返して精度を高めているような感じでした。
仕事も趣味も人間関係も。
うまくいった経験、うまくいかなかった経験、積み重ねる信頼関係、もう踏みたくない地雷。
あれ?あのときどうだっけ?っと思ったらもう一度戻って見直しに行けるような
そんな状況でした。
それはわたしにとってはとても快適です。
知っている、ということほどの安心感はなく、知らない、というほどの不安はないなあ、と
改めて思います。
今もまだぎりぎり「知っている」の続きにいるけれど、もう少し先に行くと
「しらない」の連続になりそうで、ちょっと足がひるみますが、
それは「怖い」ではなく「楽しい」なんだよ!といろんな人がいろんな形で教えてくれているような気がするし、
まあ行かないといけないなら、怖がっても仕方ないので楽しもうとやっと思えたところ。
今年は仕事でも変化の年ですが、amelaboも変化の年です。
イベントとかそういうことはまーったく考えてないし、予定もないけれど
念願だった「書く仕事」を初めてさせてもらっています。
1月2月はただただ夢中で書きましたが、3月改めて、その嬉しさを噛み締めながら書いています。
何が伝えたいのか、自分が今までどうしてきたのか。
それを書かせてもらうって本当に本当に嬉しい。
去年の阪神百貨店のお仕事も、本当にありがたかったなあと改めて思っています。
誰にでもできることじゃないから楽しんでおいで、と言ってくれた先生がいますが、
そのときは、なんだかよくわわからないし、期待に答えられないかもしれないし、
何をやっているのかよくわからないし、私じゃなくてもいい気がするし、、、、と
あれこれ思っていて、誰にでもできることじゃない、という言葉を額面通り受け止められなかったけれど、
振り返ってわかることは、「したい!といってできることじゃないんだから楽しんでおいで!」ってことだったのね、と理解できた気がします。
私じゃなくてもいい、というのは自分の中に常にある不安です。
わたしより素敵な写真を撮る人はたくさんいるし、
わたしより素敵な文字を書く人はたくさんいるし、
わたしより素敵なことを知っている人はたくさんいる。
だから、自分じゃなくってもいいんじゃないかなあ、と本気でいつも思ってしまって、
期待に答えたくて120%頑張ってしまう、という感じがします。
いつまでたっても楽々なにかができるようなことはないんだろうな。
それはこの先もずっと変わらないし、自分にしかできない!と思い始めたら
私の良さは随分となくなるような気もしますが、そろそろ少しくらいいいところを認めてあげてもいいのかなとも思っています。笑
とはいえ、わたしにとって仕事のベースは楽々できていなければいけない類のものです。
それがないと安心してもらえないし、楽しんでもらえない。
環境が変わるにに、いまのままだと私は毎日ベースの部分でもどぎまぎしそうなので
いまうちにベースを作っておかないと!
と、また自分を追い込むのでした。笑
昨日は久々に2時間時差の友達とfacetime.
2年連続で桜を見に来ていたから今年は来ないのがお互い寂しくてたまらない。
信仰心が厚く、スピリチャルなことも好きな彼は、しばしば不思議なことをいうし、
思いがけないことを拙い英語で言ってくれたりしてびっくりするのだけど、
わたしはそれを半信半疑でも受け止めることにしています。
信じてないだろうけど、まあ見ててごらんよ〜というように笑っているのも嬉しいこと。
昨日は今年を占ってくれて、一生懸命通訳してくれた。
ああ、そうねそうよ!と半分寝ぼけながらだけど、笑うしかないような内容で、
自分が抱えているものは、自分がだめなんじゃなくて宿命みたいなもんだと思わせてくれるなら
占いっていいもんだなあ、と思います。
そういう悪い癖とか、年回りみたいなものがあるんなら、それとうまく付き合って行く方法を探すことは
悪いことではない気がします。
来年か今年の冬にはまた会いに行くし、僕らはちゃんと仕事を軌道に乗せてNYかロンドンで待ち合わせしようよ!と言ってくれると、不思議と叶う気もしてくる。
ということで、明日からの毎日のために今日できることをしなければ。