lemon paper

油断したら直ぐに半月くらい空いてしまう。
昔、ここに日記を書いていた時はどのくらいの頻度で更新してたんだろう、と思う。
ちょっと極端な性格なので、「するか/しないか」になってしまうので、時々する、というのは苦手。どうやってこの日記を保っていたのか自分に聞きたい。
インスタは「毎日する」が定着したので、間が空くほうがイレギュラーな感覚があるのだけど、(もちろん、忙しかったり体調が悪かったり、そんな気分でない時はしない)日記、、、、今更ながらに難しいし、よく続けていたな、と驚きます。

とはいえ、ここに書こう、とか、ここに載せよう、と思って写真を撮ったり考えたりしているから、この場があるのはいいこと。インスタグラムでもnoteでもブログでもなく、なんの利益もつながりもなく(むしろ使用料を払って)この場をキープしているのが私の覚悟、とか思っています。

それは前置きで、久々に印刷物を作りました。
レモンの包装紙。絵を描いて、取り込んで、字と合わせて、データにして、入稿して、を自分でしたセルフプロダクト。私はそういうやり方をちゃんと学んだことがないので、見様見真似だし、びっくりするような失敗をするので、これはもう頼まれても自分のことしかしません。前回はサイズを間違え、今回は色がびっくりするくらい違って、毎回学びでございます。でもありがたいことに、そういう時助け舟が向こうから来たりする。ありがたい。本当にありがとうございます。

なので無事何とか包装紙が完成し、marutoさんとコラボレーションすることができました。
東京でお菓子を作っているmarutoさんは、インスタグラムを初めて少しした時から友達の写真を通して知っていたけれど、当時輪がかさなることはなくて、お菓子にも出会う機会がなく数年が経ち、数年前にふとまた投稿に出会って、その「心意気」みたいなものに触れて、じーん、と感動して励まされました。
ストイックという言葉で括ってしまいたくない、個で社会を感じる方。わたしもとっても大事にしたいと思っている感覚だったからこそ余計に、それを体現しようとしている姿に感動し、そして程なくして運良く手にすることができたお菓子は、ほ、ん、と、う、に美味しかった。共通の大事な友人が二人いて、私たちは繋がることができて、私はいつかmarutoさんのお菓子が包みたいなあ、と妄想していました。

今回はそれが叶って、marutoさんのレモンのお菓子を私のレモンペーパーで包んでもらうことが叶いました。せっかくだからメニューやカードも!

夜な夜なのメールのやり取りが楽しくって、でもこんなにやり取りするのは初めてだから、ちょっと緊張したりよそよしかったりで、彼女の言う通り「付き合い始め」のカップルのような初々しさの中でこのコラボはできました。

相手の好きそうなものを想像しながら(しかもお会いしたことがないから余計楽しい!)方向を探るのも楽しかった。
久しぶりに手を動かして、誰かに届くものをたくさん作ったのも楽しかった。
購入は抽選で、その倍率はかなりのものになってしまって、なかなか当たらなかったと思うのですが、遠くにそれぞれいる私たちが出会って、この不自由なコロナの環境の中で少しできた時間を利用して、いつもならできないことを楽しんで作ったことを一緒に楽しんでもらえたような気がして、とっても嬉しかったです。

わたしも日頃から抽選に参加しているけれど、当たったことがなく、久々のmarutoさんです。一年ぶりくらい。
しかも、自分のペーパーに包まれて送られてきて感無量です。

ペーパーは同時発売の予定だったのに、環境が整わなかった上に、少し体調を崩し不安定なので、まだ少し先になりそうです。すいません。
あと一息なんだけどな。
販売方法のなにかにひっかかっているようで、沸きらない部分がまだある。送料とか梱包の問題です。もう少しでよい着地点が見つかると思うのでお待ちください。自分で言うのも何ですが、かわいいです。

この間も書いたと思うけど、年末に四季のペーパーを完成できるように、と思っています。とはいえ、仕事の傍らだから、あゆみは遅い。でも、それもふくめてamelaboだ、と思うことにしています。
なにかのために描いたり撮ったりするのではなく、日常の中で自然発生的に生まれたものを自分で何かにできたり、誰かに何かにしてもらえたら本当にいいな、と思う。
amelaboの良さはそこにあるんだな、とやっとわかってきました。
自然発生的、というのがキーワード。
それを生業にしていないので、商業的な観点もないし、純粋に自分が欲しいものが作れる。でも、本業があるからある程度制限されている。結果、楽しい範囲でしかできない、というのはある意味貴重なのかもしれないなーと思っています。そして気持ちの中では、これを生業にしている人の邪魔になってはいけない、と思っている。
だからできるときにできることを、ということになる。