3月のこと

多分、自分のスイッチがオンになったままだった3月。
久しぶりに、生きているのが精一杯、という毎日でした。
そんな風にいうと大げさすぎますが、何一つ余分に何か出来ない状態が続いていたなあと、
先月のダイアリーをまとめていてしみじみ思いました。
(去年から、ダイヤリーは振り返り型にしています)
そんなときにリアちゃんがきてくれたのは、私にとってはとても残念なこと。
もっと元気だったら、もっと楽しめたのに!!!
なんであんないっぱいいっぱいだったんだろうなあ、、、、
次いつ会えるかわからないのになあ、、、
久々にゆっくり休んで元気になった脳みそで、2週間も前のことを悔やんでいます。
というのは、先日、健康診断に引っかかり、追加の検査を受けたのですが、
そのときに鎮静麻酔を受けました。
何回目かだったので不安はなかったのですが、
あのおかげで、自分のなかのスイッチが強制終了されたようで、
この週末は死んだように眠り久々に頭もからだもすっきりと、、、、
ついでに検査の結果もよかったらいいなあ。
なにかと病気がちですが、くよくよしててもしゃーない、と思って
心配するのをやめたら気が楽になりましたが、健康は何よりも大切。
もう少し気をつけないといけないのかなあ、、、、
なにか、あともうひと工夫必要な気がしています。
IGの中で出会ってから丸3年、実際に会える日が本当に来るなんて思っていなかった友達が
本当に会いにきてくれたのが去年の10月の終わり。
次はいつ会えるんだろう、と思っていたら、半年もしないうちに会えてしまった。
これはどれもこれも本当に有り難いこと。
英語をほとんど話せなかった彼とIGで出会い、きっとお互いに何となく通じ合う物があったから、
たどたどしい一方通行のようなやり取りで友情を育み、
いつの間にか、毎日やり取りをする秘密の家族のようになっていました。
わたしたちはとっても似ているけれど、とっても違うところもあって、
彼は信じる人で、わたしは疑う人なのだと思う。
その真逆のベクトルが同じ方向を向いているのがなんとも不思議なことです。
今回は彼のお姉さんのようなお友達と一緒だったから、
いろいろこれまでには話せなかったこともたくさん話したり、知ったり。
he changes when he meet you.
と彼女はいっていました。
それまでどんなに言っても英語を勉強しなかったのに、あなたに出会って英語を勉強したいって言い始めたのよ、と。
そして前の訪日から帰ってきて、もっと話せるようになりたいといって勉強を始めたのよ、とも。
あらま、そうだったのか。
そうだとは聞いていたけど本当にそうだったのか、と知ってとっても嬉しかった。
私たちは作用しあっています。
お互いがお互いの影響をとても受けている反射しあう鏡のような物だと思っています。
知っていることはわたしの方が多いかもしれないけれど、
彼の方が才能があり、判断も速く、形にする力がある。
私たちはお互いの好きな物を見せあい、お互いの反応を見ながら
進んでいるような気がします。
確かめたことはないけど、きっとそうなのだと思います。
これが言葉がものすごく通じたら、また違うんだろうなあ。
あんまり通じないからいいのかもしれない。
言葉で理解できるがための誤解、というものがあるように思います。
ちょっとした言葉尻、意味のとらえ違い、ささやかな表現の違い、
それがうっすらうっすら重なって、いつの間にか心が離れてしまったりするものだし。
いつか書いたように、私と友達の関係は人間関係の上澄みの美しい部分だけで成り立っているのかもしれません。
なんならチビとの関係にも似ている。
次はいつ会えるかなあ、、、、