続きは明日〜とか、書いておきながら昨日は日記書けなかった。
私のトイレの話も途中で書き直したせいでイマイチなんだかわからないし。
小学生くらいの時に、昔住んでいた古い家のトイレで、
今世界中で同じようにこの瞬間トイレに入っていて、
同じこと考えている人がもしかしたら何人かいるかもしれない、なんて妄想していたのです。
それはとてもばかばかしい妄想ですが、
そう考えることは、子供の頃の私にとってまだ見ぬ友達を思うようでとてもワクワクしたのを
覚えています。
あの頃は親兄弟にあまり理解されず、
小学校には気の合う友達もおらず、
受験勉強ばっかりさせられていて、ちっとも楽しくなかったせいもあるのだと思いますが。
そんなことを、星野道夫さんが書いているのを後年私は雑誌で見つけます。
同じにしたら失礼すぎるかもしれないんだけど。
星野さんは、高校生くらいの時に電車の中でクマのことを考えていた、と書いていました。
今、この時に森の中でクマが生活している様子を想像すると、なぜか心が安らぐ、というようなことが書いてありました。
自分がちっぽけな存在であるということを自覚するときほど、
世界が安心して感じられる、とも書いてあったように記憶しています。
それを読んだとき、私は自分がトイレの中で世界に想像を馳せていたことを思い出しました。
そして今は入れ子のようにその二つのことを思い出します。
あれから長い年月が経って、世界は随分変わってしまったけれど、
私がたくさんの人と共有させてもらっている気持ちはそんなものに似てるのかもなあと思ってます。
人と人が出会うには、随分とエネルギーがいります。
関係を続けて行くことにも。
こんなに長くインスタグラムを続けて、
こんなに長くカレンダーを作っていることに
実は自分で少し驚いています。
そしてそんなカレンダーをご購入いただいてまで
手元に飾ってくださる方がいることを本当に心から嬉しく思っています。
ありがとうございます。
私は、私の力で頑張ってきましたが、たくさんの方に応援してもらったり、
引っ張ってもらったりしています。
年齢に関係なく、私にはたくさんの先輩と先生がいます。
彼らが私に惜しげも無く教えてくれたことで、まだまだ理解できていないことがあって、
3年経ってからやっとわかったり、わかったつもりでもわかってなかったことに気づいたり、
本当にありがたいことばかりだと思っています。
話をしていて相手が何言ってるのかわからない時がありますが、
その時の疑問を心の何処かに留めることができるのが
私にある少しだけのいいところだと思っています。
それが何年も経って、ああ!となる時の嬉ししさと言ったらありません。
プロのアマチュアとして頑張って!と言ってもらたことがあるのですが、
その言葉の意味を今はなんとなく理解できます。
言ってくれた相手は、多分あまり深く考えていないだろうし、
意味なんてないと思うのだけど、私はまさにプロのアマチュアだなあと思うのです。