澁澤龍彦

高校生のときに夢中になった作家が何人かいます。
そのうちの一人が澁澤龍彦。
なにがどうなって“澁澤”に出会ったのか分からないのだけど、
高校3年生のころは60年代の異端な世界に夢中になっていました。
高校時代、そして20代の前半までわたしは自分がいつか作家になると
信じて疑っていなかった幸せな人間なのですが、
(本当にあの自信というか、思い込みはどこから、、、)
憧れの作家像は澁澤龍彦でした。
憧れの書斎は澁澤龍彦の書斎でした。
壁一面の本、赤いベルベットのカーテン、秘密の小部屋のような
それでいてどこかと繋がっているような。
私が澁澤龍彦に出会ったときには彼はもはや鬼籍の人となっていたのですが、
本当に夢中になりました。
今思えば、あんな世界に夢中になっていた受験生の娘のことを
両親は少々心配していたのではないかと思うのですが、
どうして同時代に生まれなかったのか、と本当に悔しく思っていました。
その憧れの澁澤の書斎においてある等身大の少女の人形が
四ツ谷シモンの作品です。
そうそうたる面子の澁澤ワールドの中で、私のとっての四ツ谷シモンは
澁澤龍彦の仲間というよりは、信者の一人であり、
澁澤龍彦に愛された弟子の一人、というイメージでした。
そして澁澤龍彦に憧れてやまなかった私も、大学生になり少し路線が変わり、
やがては異端の世界を卒業していきました。
いつか自分が書くべき物語を心に秘めていたのに、作家になることも諦め、
(一作も書くことなく、あるとき、あ、私は作家にはなれないや、と悟ったのです、、、)
本を読む量は極端に減り、大学を卒業してからは、大量の澁澤龍彦の著書や特集も
実家においたままになり、あの書斎もリビングも思い出すことも少なくなっていました。
たぶん、見かえすのが少し苦しかったのだと思います。
だって、私は作家になるつもりだったのに。笑
そして先日、実家で毎週日曜美術館を見るようになって、
四ツ谷シモンが近くの美術館で展覧会をすることを知りました。
20代の終わりまではむさぼるように本を読み、映画を見て、美術館に行っていたのに、
もうそのどれもしなくなって久しく、バルテュスですら諦めたのだけれど、
これは近いし、必ず行こうと心に決めていました。
本当にいい時間を過ごしました。
あんなに夢中で展示を見たのはいつぶりだろうというくらい。
それも、過去の自分と並んでみているような、そんな不思議な時間でもありました。
四ツ谷シモンの言葉には澁澤龍彦への思いがあふれんばかりで、
それがまたたまらない気持ちにさせました。
そして家に帰ってすぐに、もう何年も開いていない、でも捨てることもなく大事においている
澁澤龍彦の特集の本を開いてびっくりしました。
澁澤龍彦のリビングの写真にはこの数年間にわたしが、自分自身で選んで集めてきたと信じているものがどれもこれも写っていました。
ウニやガラスや石や紙や文字や海うちわ、、、、
あんなに憧れていた世界なのだから忘れていた、とも違うのですが、
覚えていた、とは言いがたく、自分の中で切り離してしまったはずの世界に
帰ってきてたんだ、と改めてびっくりしました。
今のわたしには、もう一度澁澤龍彦を読み直す読書力はないような気がしますが
それでも、あの頃のことがすべて自分の血となり肉となっているのだ、と
思えたことは本当に嬉しいことです。
興奮気味の日記になってしまいました、、、、
読み返したら恥ずかしいだろうけれどこれも記録。
本当にいい週末でした。