広告

私のところにも時々広告のお誘いが来ます。
この商品を差し上げるので、あなたのSNSで広告して下さい、それを見て下さった方は何パーセントかの割引クーポンが使える、というやつです。
わたしはそういうのが好きではないのでお断りしています。
もともと持っていて愛用している企業のなにかだったら、よろこんで宣伝するけど、
企業から貰ってそんなに愛着もないものを紹介するわけにはいかないからです。
自分が写真に載せているものが、どれも本当に好きで大切にしているので、
それだけはしたくない。
iPhoneのイヤフォンを失くしたから貰えるんならラッキーだな、と一瞬心は揺れますが、
気に入って買った訳でもないのなら、多分気に入って使うこともないだろうし、
そもそもそれを紹介する訳にもいかないなら頂く訳にもいかない。
ということで、私のフィードにはそういうのは出てこないです。
でも、いろんな人に応援してもらって、いろんな人に刺激を貰ってるから、
そう言う意味では何かお役に立てたらいいなあと思っていて、
余裕がある時は手元に届いたDMをまとめて紹介したりしているんだけど、
それもタイミング的なものがあって、全部は載せられなかったり、
そしたら載せられなかった人は気にしないかなあとか、気にしだしたら止まらないから、
それもどうなんだろうか、と思って今は休憩中です。
僕たちは責任を持たないとね、とずっと好きなお店の人が言ったことを思い出します。
僕たち、と複数形で私も入れてもらったことをとても嬉しく思ったけれど、
あ、そうか、責任を持たないといけないな、と改めて思いました。
何気なく書いたことを、何気なく宣伝したことを、わたしが繋がっている人のことを、
私への信用で信用してくれる人がいるかもしれない、と思うと、
ああ気をつけないといけない、と思います。
そんな重要なことを書いている訳ではないから大丈夫だと思うけれど。
少し前までは、私は出会いたい人とだけ出会えてきました。
出会うべくしてで会う人ばかり。
たくさんの積み重ねと理解があって繋がるような、そんな出会いがほとんどでした。
でも、世界が広がるとそうでもなくなっていくことに私は無頓着でした。
出会ってしまう人と、出会うべくしてで会う人は違うのだと思う。
どの業界も世間は狭いから、構成メンバーは同じような感じなのだろうな、と思います。
そんな見極めができないから、ときどき苦しい。
好みが同じであることが重要な訳ではありません。
年齢が近いことが重要な訳ではありません。
性別も、仕事も、趣味も、好みも、違っていても、
なにか通じるものと暖かいものがある人との出会いを大切にしたい。
誰も彼ものことを知っている人ほど胡散臭いものはない、今はそう思っています。
私は、わたしの世界の人たちとゆっくり焦ることなく、時々冒険をしながら、
否定もせず、かといって開けっ広げにしすぎることもなく、
丁寧にゆっくりとしていたい。
それが今の願いです。