あれから18年

あれから今日で18年。
いまでも、ビルや家を壊しているそばを通ると、そのにおいで震災のあとを思い出します。
地震のあとは、春まで神戸に帰れなかったから、わたしの震災のあとの記憶はあの瓦礫処理の埃っぽいにおいと、やっと暖かくなって、ライフラインが戻って、どうにか動きだした満身創痍の生まれ育った町の姿。

去年の今頃の写真。
IGで知り合った方から素敵な素敵なコサージュをいただいた。
あんな小さな画面を通して、ほんの少しの言葉と写真で、
どこか共有できる何かを見つけ出してつながることができるってすごいなあと思います。
仲良くなれる人とそうでない人の違いは何なのかうまく言えないけれど、
タイミングと、あとは言葉のやり取りの積み重ねからでてくる空気なんだろうか。。。
彼女とは、きっと思春期に読んでいたものや触れてきたものが似ているから、
大人になった今も、心の琴線ようものの軸が同じなのだと、勝手に思っています。
もちろん、私は彼女ほど繊細で美しい感性ではなく、もっと大雑把なのだけど、、、、
これまでコサージュや造花的なものに興味を持ったことがほとんどなかったけれど、
彼女の作品は、生のお花の代用ではなく、よくできただけのものでもなく、
そこには彼女が大好きなお花の美しいと思った姿が投影されていて
一つの世界になっているような気がする。
丹念に丁寧に研ぎすまされた感性で、お花と向き合って、それを形にしていくから
あんな素敵な世界が作れるのだろうな。
美意識を、感性を、物としてあんなに素敵に表現できるなんて、本当にすばらしい。
私も、彼女のように丁寧に自分の世界を作っていきたい、と背筋が伸びる思い。
いつもありがとう、あれからもう1年もたったんだ、と思って
この出会いに心から感謝したくなって書きました。

”今は、ここにいます”
大学生の頃にしていたHPもnowhere
その中でnow hereという日記を書き続けていました。
書いているときには自分の位置はわからないけど、読み返すと自分がどこにいたのかわかる。
その記憶と記録のようなものです。
今の職場の立ち上げに関わらせてもらったとき、オープニングには
大好きな人たちがたくさん来てくれました。
それぞれのお仕事や専門分野で力を貸してくれた、初めての経験。
私の中ではそれぞれとバラバラに出会っていたのに、それぞれが緩やかな関係の中にあって、
なんだか本当にうれしくてたまらない瞬間だったのを覚えている。
好きなことが実をなした感じ。
あれから6年。
さらにいろんな人たちに出会って、より親しくなって、
本当に、出会いたいひとたちに出会えるようになった。
選んだ道は、好きなこととはかけ離れていたから、なかなか日常に出会いたい人たちには恵まれない、と思い込んでいた時期が長く、価値観と趣味をともにできる人と出会うのはなかなか難しかったけれど、気づいたらこの仕事をしていることで会いたい人たちとより親しくなっていけているような気がする。
それは本当に幸せ以外の何者でもない。
いつか自分の道を歩き出すとき、これまでに出会った大好きな人たちに囲まれて
あの6年前のような気持ちでスタートできますように、と今年最初の新月にお願いしました。
ときどき日記は途切れるけれど、それでもできる限り続けようと思う。
自分の位置を振り返るためにも。