部屋にいるのが大好きですが、部屋にいるとしないといけないことや
したいことがありすぎて、嫌になってごろごろしてしまうので、
たまには外でお茶してぼんやりしたり、頭の中を整理するのは必要だな、と思います。
が、わざわざそんなために出かけるほど優雅に暮らしていないので、
どこかにいくときはなにか用事のついでです。
東急ハンズに行かないといけなかったり、シモジマに行かないといけなかったり、
病院だったり、打ち合わせだったり。
用事とついでを張り合わせて出かけてる。
みんなそうか。
多分ありがたいことにとても便利なところに住んでいるので
日常のことは家の周辺で事足りるのです。
今日は用事があったので大阪に。
大阪に出るなら、どっか寄り道がしたい。
そういえば無印週間だし、夏のパジャマも書いたいし、
欲しかったコーディアルはdean&Delucaにあるだろうし、
そうなったらグランフロントだなあ〜。
久しぶりにオーバカナルに行きたいけど、over the centuryもきになるなあ。
そしてできたらバーチャル駅長のネタにもなるといいなあ、と
あたらしいついでが増えました。
梅雨なのにあまり雨が降らなくて不安ですが、気持ちのいい日でした。
夏至までもう少し。
今が一番日が長いから、いつまでも明るくって嬉しい。
夏のいいところは日が長いことくらいだなあ。
大阪に住んでいた頃、日が暮れるのを待って出かけたのを思い出す。
今よりもっと便利なところに住んでいたから、ちょっと行けば心斎橋で、
ちょっと地下鉄に乗ったら梅田だった。
夏の夜のお出かけはいつも楽しかったなあ。
あの頃、ハンズとカワチとシモジマをしょっちゅうはしごして、
いろんな素材を試していました。
あの時の経験が今の私の糧になっているなあと思う。
無駄なこともいっぱいしましたが。
わたしは、仕事は仕事としてしているけれど、
仕事だから、と割り切れない使命感や思い入れもたくさんあります。
それはとても幸せなことなんだと思う。
amelaboのことは、仕事ではないから
そこには楽しみとそして幾ばくかの使命感があることしかしません。
それはとっても幸せなことだと思います。
やりたいからする、という理由でなにかをするにはもう長く生きすぎてしまい、
時間があまりありません。
するからにはなにか意味があることや、誰かの役に立つことがしたい。
目の前のその人ではなく、その向こう側の知らない誰かに役に立つことができたら
いいなあ、と思っています。
その気持ちの理由はよくわからなかったけど、使命感、というのが一番近いかな、と思います。
そうしないではいられない気持ち。
押し付けかもしれないけど。
なんのために、って聞かれることがあります。
なんのためにそんなに一生懸命するのか。
なんのためにたいして得にならないことをするのか。
全く得にならないことはもちろんしないけれど、
それがしてみたかったことだったり、誰かの役に立つことだったり、
恩返しだったり、よろこんでもらえることなら力いっぱいしたいなあと思います。
そうやっていい関係を続けていけば、それぞれが美しい森みたいになるんじゃないかなあと
夢見ています。
それは少し叶いつつあるけど、でも、残念ながらそういう関係を続けられない人も出てきます。
人は変わるものだし、関係も変わるものだし、
私も誰かにそんな思いをさせているかもしれないから、仕方のないこと。
いま、いろんなことをしようとしているけれど、
わたしがamelaboでできることは、見守って応援してくれる人がいるからできることなので
その人たちをがっかりさせるようなことはしない、と決めています。
最初は?と思われることでも、そこにちゃんと理由と物語のあることだけをしていきたいな、と思う。
そしてIGを通じて、一緒になにかに取り組んでいる気持ちになってくれたら嬉しいなあと思っています。
綺麗事に聞こえるかもしれないけれど、そう思っています。
人脈があっていいなあと思われるかもしれませんが、
それはiPhoneを握りしめてIGをしながらわらしべ長者のように出逢ってきた人脈です。
こんなに長く続けると思わなかったし、もうそんなに長くは続かないであろう世界だと思うけれど、
なくならないかもしれないな、と思うようになってきました。
形は変わっても、こういう形で人が出会ったり、情報が拡散される方法は続くと思う。
いいこともそうでないことも両方あります。
わたしは、なるべくいいことばかり考えているけれど、
知らなくていいこと、出逢わなくていいこと、そんなものもたくさんあります。
もやもやしたり、ざわざわしたり、
だれかが羨ましくなったり、羨ましく思われたり、
気にしなくていいことを気にしたり。
私自身もいっぱいそんな思いをしてきて、やっと線引きができたのが2年くらい前です。
もうどれが誰の写真かわからないくらい似たような写真が溢れて、
同じようなインテリア、同じようなテーブル、同じような器、同じようなファッション。
インスタ映え、という言葉は大嫌いです。
わたしはその申し子のような存在だったことがあるのも自覚していますが。
これはきりがない、と思ってインスタグラムのためにものを買ったり
インスタグラムのためになにかをするのをやめて、
楽に毎日続ける方法を自分なりに作ることができてよかったな、と思っています。
でも、インスタ映えするものに出会うと嬉しい気持ちももちろんまだあるので、
そういうのも時々しますが、毎日は普通でいいんじゃないかと思っています。
なにかいてんのかよくわからなくなってきましたが、
そんなことを考えた気持ちのいい6月の木曜日でした。