no more summer

もともと夏に弱いので、この時期だいたいへばっていますが、
逆流性食道炎の改善が、どうもあるところから進まないので、
(と、自分で思っているだけかな、、、)
冷たい物はだめだしなあ、とか、あれこれ気にしないといけないことが多かったり、
あんまりにも暑い日に出かけてしまって、ぐったりしてしまったり、
もうそろそろ夏はいいや、、、と心の底から思っています。
でも、ここからお彼岸までは、絶対まだ暑いのは分かっている。
ふう。
写真は春が来そうなころの写真。
この陽射しが恋しい、、、、
ちょっと引きこもり気味だった夏休みですが、友達にも会え、
いろいろ話して、まだぼんやりしていた事がちょっと輪郭が見えてきたような気がします。
わたしは、自分の一部と相手の一部をちょっとこっそり一瞬見せ合うような
コミュニケーションが好きなようです。
それを言葉にしたら、きっと共感とか共有ということになるのかもしれない。
同じではないけれどよく似たもの、似てないけれど同じように大事に持っているものを
こっそり、ちらっと見せ合って、お互いのそれを、わあいいなあ!と思い合って、
他愛のない話をして笑っていたい。
それは、好きな物が似ている、とか趣味が同じとか、年が近いとか、そんなこととは
無関係だという事もやっと分かってきたような気がします。
そしてわたしがIGでしてきたことは、それによく似た事だったんだろうな、と思っています。
単に物ではなく、お菓子ではなく、場所でもなく、店でもなく、
そこに至る気持ちや思いみたいなものがあったりする時、それをそっと感じ取って
共感してくれる人たちに出会って、時には本当に出会って、
いいよね!そうよね!と言い合って嬉しくなって、お互いまた別々に次にいく、
みたいな事を繰り返しているのかも知れません。
IGに関しては、リフォローをしない、というのを基本的なルールにしているのですが、
(偶然に出会いたいと思っているからなのだけど、まあ、そうはいかないこともあります)
そんなつもりで書いたのではない文章に、書いたはずでない言葉へのコメントを頂いたりすると、
お名前を覚えることが多く、それが時折ピンポイントであったりするときは
思わずどきっとして、見に行ったり、フォローさせてもらったりする事がありますが、
それはきっとあの文字だけのコミュニケーションでこっそり自分の大切な何かを
見せ合っている瞬間なのかもな、と思います。
半面、わたしはなにかに、誰かに、いやだなあと感じてしまうと、
感じた自分を責めて、それが転じて相手がますますいやになるという悪い癖があります。
好き嫌いが激しすぎる、と上司に怒られた事があるからかも知れません。
でも、いやだなあと感じるのは、防御反応だから、
その感じた気持ちは大事にしてやらないと、胃も蕁麻疹もよくならないかもな、と
思う事にしたら、謎の蕁麻疹がひとつ減りました、と書きたいところだけど、
蕁麻疹のようなものはそのままですが、減っていってくれるんじゃないかなと思っています。
繊細すぎる、と自分でも思うし、ちょっと行き過ぎると
周りの人に迷惑をかけてしまうので、もういやな物はいや、違う物はちがう。
でも、いやな物がそうでもなくなるかもしれないし、
好きになる日が来るかもしれないので、
その日を迎えるためにも、一度は自分の違和感を受け入れて許してあげよう、と
思っています。
ああ、夏はもういやだわ、、、、と。