書くこと

”人に会って話すことで、聞かれて考えて、わかることがたくさんあります。
話すのは苦手だけど、話さないと出てこないこともたくさん。
今日はそんな1日でした。
わたしが気持ちを文字にするのが好きなのは、書けるほどまで整理できるから。
感じたことを1度ばらして並べて言葉にして組み立て直して書いて眺めたら、
次にいける気がするのですが、話す言葉とはまた少し違うもの。
それもこれも話し相手と読んでくれる人がいてくれるからこそ。
そして今日は、自分が木の形が好きなことを初めて自覚しました。
こんなに好きなのに、木の形が好きなのだとは思ってなかった。”
と、23日のIGに書きました。
この日は、初めて行ったカフェでたまたま隣に座っていた方が、
わたしの友人の友達で、IGもフォローしてくれている方でした。
少し話すうちに、あんなふうに自分の気持ちを書くことについて聞かれました。
書いていていやになってしまわない?と聞かれたような気もするし、
どうも友達がわたしのIGの文章を絶賛してくれていたようで、
わたしも長さを感じずいつも読めます〜と言って下さいました。
(いつもいつも長く書いてる訳じゃない〜と思ったけど、たいてい長いか、と思って言えなかった、、、、)
IGがまだ編集できなかった頃、わたしは長い文章を下書きなしで、
(メモとかパソコンで書くことなく)IGにいきなり書き始めて、
推敲なしで書ききるのがとっても好きでした。
気持ちと頭が整理されるのと同時に、一瞬で得られる達成感がすごかった。
途中からは少し恥ずかしくなってそうそう長い文章を書くことがなくなり、
最近では編集できるようになったので、あの集中力と達成感はないけれど、
でもいつからか短い文章でも、好きな写真と一緒に感じていることを文字にしてポストすると、
その時間、その気持ちに区切りがつくような気がして、
その快感があるからIGをずっと続けているのだと思います。
だから少々調子の悪い時や、余裕がない時もIGは努めてするようしている。
(休めばいいのに、って思うんだけど)
IGもできないくらい余裕がないのがいやだし、なによりもいつもしていることを
いつものようにすることで平常心が戻ってくる気がするのです。
そんなわたしのIGを読んで、気持ちがすとんとする、とか、
同じ気持ちになる、とか、励まされる、というコメントやメッセージを頂くとき、
恥ずかしいんだけれど、本当に本当に嬉しい。
”きれいなだけでなく、葛藤も迷いも隠し立てせずにみんな正直に書かれていて、
だから読むと心にじんわりと届いて響きます。自分のことを振り返ったりも。”
と、お手紙を頂いて、本当に嬉しかった。
どこかでだれかがそうやって思っていてくれて、
それがほんの少しでもなにかの役にたっていたら、そんなに嬉しいことはありません。