1月

1月はわたし自身はなにもしてないのですが、とても濃厚でした。
お正月なんてもうずっとずっと前のことのように思えます。
遠出をほとんどしていないのにまるで旅行した気分すらあってなんだか得した気分。
わたし自身はいつもよりスローペースで生きていたくらいの感覚なのですが、、、
後半はたくさんの再会があって嬉しかった。
あたらしい出会いというよりは、再会がほとんどで
それがなおさらに嬉しいものでした。
いつの頃からか人と出会う機会がグンと増えました。
でも出会ったものの、線と線がぴったり沿っていく人はそんなに多くないような気がします。
何回もすれ違ったり、重なったりしながら、
なんとなく積み重ねがあって、交流があって太い線になったり、
ときにはもう消えそうな線になりながらも、消えそうになるとまたご縁があったり。
不思議だなあと思います。
そんな出会いの場に初めて身を置いた時は落ち着かなくて仕方なかったけれど、
ある時から頑張らなくて済むようになりました。
ご縁がある人とはあるし、ない人とはないし、
ことさらに頑張って自己主張することもないし、
引っ込むこともないし、普通でいいや、と思えたのだと思います。
そう思えた瞬間のときのことを覚えています。
すっごくいろいろ話したかったし、聞いて頂きたかったし、
実際聞いて下さったのだけど、べらべらと自分のことを話すのは絶対にそぐわない場だったので、
私は簡単に自己紹介するしかなかったのだけど、
その方に聞いてもらいたいなあ、とか、知ってもらいたいなあと思う自分のことを考えるいい機会になりました。
語ることのなかったことの方が自分の中で大きな存在になるのかも知れません。
そしてその方は1年経ってもはっきりと覚えて下さっていたから、
ああ、あのときべらべら話さなくってよかった、と思うとともに、
その再会のときにもあまり多くは話せないままだったのですが、
それでもきっとなんとなく分かって頂いているような気がしています。
(妄想でもいいや)
わたし自身は、言葉にして理解してもらいたい気持ちが強いですが、
好きな人たちはあまり語らない人が多い。
そしてわたしは、好きな人のことをあまり知りたくない、と思っています。
知りたくない、というと語弊がありますが、
自分との関係や、自分の中での解釈で知っていたい。
だからすきな作家やアーティストに関しては、書評とかインタビューとかをあまり読みません。
手っ取り早く知りたいだけの時は、wikiから入るし、むしろ作品よりも書評のほうばかり読んでしまうこともありますが。
自分の感覚で知りたいんだろうな、と思います。
目の前の人が、自分に見せてくれる姿で十分。
憧れている人ならなおさら。
鶴が機を織っている姿はあまり見たくないのです。
きれいな機を見せてもらえたらそれで十分。
だから、本当に好きなブランドや好きな作家さんのブログやIGや、
ときにはインタビュー記事はあまり読まない。
どんなつもりで作っていようと、自分がいいなと思った感覚を信じていたいからだと思うのです。
なのに、私は自分が作るもののことを語りすぎている、、、、
なんだろう、この矛盾。