心配事

年が明けてから、本当は向き合わないといけないことをずっと避けていたのですが、
日に日に気にしないではいられなくなっていましたが、
そのことすらも気づいていない振りをして過ごしていましたが、
頭と心は多分別もの。
頭は考えること、向き合うことを少しでも先送りにしようとしていましたが、
有り難いことに、思いがけず一歩踏み出すことが出来ました。
別件で出かけた帰り道、そのまま家に帰ろうか、地下鉄に乗ろうか、珍しく立ち止まってまで考えました。
せっかくしんどいのを治してもらったのに、ここからわざわざ疲れにいくのもいやだったけれど、
立ち止まってiPhoneのスケジュールを何度眺めても、今いくしかもう時間はない。
ああ、仕方ない、と改札を抜けたことを、とっても感謝しています。
誰に対して感謝してるのかよくわからないけど、先生にも、自分にも、予定にも、もしかしたら見えない誰かがそうさせてくれたのだとしたら、見えない誰かにも。
心配事はなにも解決していないけれど、自分が心配していることを自覚したこと、
それを信頼する人に分かってもらえたこと、
そして相手が出来れば手助けしようと思っていてくれることが分かって、
その心配事を口に出したら、
私の心配事は、すこし楽しみの要素にすらなれる可能性が出てきたように思います。
起きてしまったことは仕方がない、
ないものは仕方がない。
先の事は分からないけれど、今がどうなっていて、今何が出来るか、
逃げて逃げてその末に、やっとそうやって考えるのですが、
あるものはあるし、
ないものはないし、
なくても心配だし、
あっても心配なのだと思う。
なんでも。
本当になんでも。
たとえどんなに才能にあふれ、機会に恵まれ、
裕福だったり、強そうだったり、幸せそうに見える人でも、なにかしら心配事はある。
そんなこと、これまでにいろんな人が言っていて、ドラマや小説や映画の中で聞いてきて、
自分でも経験しているはずなのに、また新しくそんなことを知った気分になっています。
みんな今回の人生は一回目。
そりゃ、うまくいかないこともあるし、そもそもうまくしようと思わなかったら
それだけで随分気が楽になる。
まあ、それでも心配事であることに変わりはありません。
でも、できたら楽しみたい。
今日は少し遅れて命日のお墓参り。
そんな気持ちで過ごせてよかった。
またきっとへこたりたり、泣きそうになるだろうけれど、
きっと大丈夫、なはずです。