早く寝ないといけないのに、いろいろわたわたしてたらあっという間に夜中で、
やっとベッドに入ったとこだけど、この気持ちを残しておきたくて
日記を書くことにしました。
明日の今頃の自分がどんな気持ちなのか、想像がつかない。
どうだろ、別にどってことないのかな。
どうかな。
ここのところ、嵐のようにいろんな知らせがやってきて、
そのほとんどは本当に嬉しい以外の何物でもなく、
そしてそれは全て、たまたまでも偶然でもなく、
何回も何回も試行錯誤して、傷ついたり喜んだり、
がっかりしたりざわざわしたり夢心地になったりしながら、
何かが叶った時はそれはたまたまだったり、今回だけだろうと思いながら、
うまくいかなかった時は、もう終わりのような気持ちになりながら
それでも少しずつ手ごたえやたくさんの応援をしてもらいながら、
そして時には一人で対峙しないといけないことを経験しながら
積み重ねてきたことだと思えるようになりました。
私はいつからか、自分にピークを作りたくない、とことあるごとに言うようになりました。
多分、私のピークは2013年のdieciでの個展と2014年のamelaboshopです。
それを感じているから、ピークを作りたくない、と強く思ったのだと思います。
とはいえ、私自身がした個展の規模のピークは2015年だし、
作った物の多さも2015年がピークです。
クオリティもクオンティティも。
あれを超えるのはもう苦しい、と正直思ったのと、
私がしたいことは一体なんなんだろう、ということを考え直したのが2016年の
ワークショップです。
(2015年はなんせ全身によくわからない蕁麻疹が出てしまったくらい頑張った)
2016年は経験すること、その時しかないこと、一期一会であるということの素晴らしさを
インスタグラムを通して伝えたいと思ったのです。
って、途中で書いて眠ってしまい、明日の夜はどんな気持ちだろうと
ざわざわしながら想像した夜はもう昨日の夜のことです。
何か変わったかというと、何も変わってないような気がするけど、
圧倒的に何かを感じたような気がします。
何言ってるんだ、って感じですが、数年ぶりにライブに行ってきました。
それも大阪城ホール。
もうそんなことは人生でないと思ってたのに。
何だこりゃ、と思って半分馬鹿にして眺めてたyoutubeの画像。
でも、何となくそのままおすすめの画像を見ていくと、
PVよりライブがすっごくうまい。
こんなに走りながら歌える人がいるのか!ってびっくりした。
でも青臭いMCは、ちょっと恥ずかしくて目を覆いたくなるほどだったのに、
そのライブのyoutudeは結局何回も見てしまって、
さらには何を歌ってるのか歌詞が知りたくなって、
そのうち有効期限が切れて久しいTSUTAYAカードを更新してまで
アルバムを借りに行き、そうそうそのアルバムを取り込むために
マックのDVDプレイヤーを買い(数年前から付属してない)
ここしばらく使ってなかったiPhoneのイヤフォンを使うようになり、
動画をyoutubeで見てるだけでは足りなくなってDVDも買ってしまって、
馬鹿にしていたMCは、何度見てもそのたびに少し胸が熱くなって
涙ぐむようになって、
ちょうど彼らはアメリカで活動していて、そのライブの動画を
インスタグラムで追っかけて見ているうちに、
筋金入りのファンの人たちが上げてくれる動画や投稿を見ているうちに、
私も自分の目で耳でこの場に行きたい、と思ってしまった。
すごい流れでしょう。笑
180度、私の気持ちを変えたのです。
気持ちも、行動も。
もうこんな気持ちになることはないと思っていました。
もちろん昔の気持ちとは違います。
きゃーかっこいい!ってそんな気持ちではなく、
一生懸命な姿と、ひたすら突き進む姿に鼓舞される感じ。
で、実際見たらどうだったというと、城ホールのスタンドの高いところから見てるから
なんだかDVDを見てる気分なんだけど、間違いなく何度も何度も見てきたライブの
見たことのない新作が眼の前で繰り広げられていて、
DVDで見るのと同じ一生懸命さと、青臭さと、チャーミングさで、
いつの間にかホールを一つにまとめあげ、
そのことに彼自身が感動し、それを見た私たちが感動して、
さらに感動が深まる、というすごいエンターテイメントでした。
目の前にカップルがいたのですが、どう見ても彼氏は彼女に連れてこられた風で、
さすがに立ってはいたけど、全くのることができなくって、
腕を組んでみていたのだけど、その彼ですら後半拳を突き上げてはねていた。
彼女は嬉しかっただろうけど、それを見ていた私も嬉しかった。
そんなもう2度とないその時だけの、もう2度と会うことないメンツの
もう2度とないひと時。
私は、というと、ちょっと胸がいっぱいすぎて、
少し無感動になりそうになるくらいでしたが、
何度も何度も見てきた動画と同じシーンの一風景になれたことが嬉しくてたまらない。
そして、私よりずっと歳若い彼が、あんな風に自分を削るようにしながら
人に感動を与え、それに感動し、毎回新しくたまらない気持ちになりながら
前に進んでいく姿を確認できて、ますます好きになってしまいました。
でも、まだ気持ち落ち着いてないけど!
もともと、音楽は好きでした。
爆音気味の音が好きで、大学生の時は随分足を運んで、
最後の方はホールのコンサートは物足りないから席がない会場が大好きだった。
でも学生じゃなくなって、そんな音を聞く元気はなくなって、
そしてもう歌詞を覚えたくなるほどのアーティストはなく、
最後にコンサートに行ったのはいつだったか記憶にない。
だから、その頃の気持ちが蘇るようで懐かしいっていうのもあるんだろうなあと思います。
そして、こんなに楽しみにしたライブはいつぶりだろう。
明日にはどんな気持ちになってるだろう、なんていつぶりだろう。
思い返したら、一度体を壊してから私は、予想がつかないことはしなくなりました。
当然できると思っていたことでできないことができてしまって、
(遠出したり、ちょっと無理したり、という些細なことですが)
何度もしんどい思いをしたり、寝込んで迷惑をかけたり、
出先で真っ青になって友達に迷惑かけたり、そんな日々を3年ちょっと過ごして、
私はやっと少し学んで、範疇を超えないことを覚えました。
無理がきかない、ということはその場でどうにかしたり、
前の日にどうにかしたりすることができない、ということです。
予想外のことが起きたら対応しきれないし、
そのことをうまく伝えるのも難しい。
私が抱えている不調は、外からわかるものではないし、
今はもう病気でもないし、体を壊した後の人が抱えている、これまでと違うという
漠然とした不安を含んだものです。
風邪や疲れのように、数日休んだら良くなる、とか
薬を飲んだら治る、という自信はいつまでもつかなくて、
地雷を踏んだらさようなら、のように一つ間違えたら数日何も食べられなくなって
寝込むハメになる、そんな恐ろしい地雷を抱えています。
残念ながらそれにははっきりした病名がつかなくて、
もともとの病気と関係があるのかないのかもわからない。
検査の値にも、時々調べるCTにも何も映らない。
症状的には逆流性食道炎のようなもの。
でも、きっと一度バランスを崩した体に、これまでどおりの負荷をかけたら、
こんな症状が付きまとうようになってしまった、ということなのかな、と
理解しています。
そんなこんなでも、私は仕事も趣味も諦められない。
そして自分にも周りにも迷惑をかけられないから、
想像できる限りの準備をして、できることしかしない、というルールを作ることにしました。
なので、明日の自分が想像つかないこと、なんていうのはしてこなかった。笑
ワークショップも個展も、そりゃあ緊張もするし居ても立っても居られないですが、
それとは少し違うことです。
そんなスタンディングでもみくちゃになるわけじゃないから、
そういう意味での不安はないんだけど、あんなに気持ちを動かされたものに
実際についに見に行って体験するってどんなんなんだろう、って。
もう何書いてるのかよくわからなくなってきたけど、
そんな気持ちで見に行ったら、本当に私は何度も見た客席の一人になっていました。
それも隣にずっと一緒に歩んできてくれた友達がいてくれて。
諦めた何かを取り戻したような気がした瞬間でした。