毎日があっという間です。
毎日早く寝ようと思って10時には床に就こう、と思うのに
眠い夕方すぎを超えたら、目が覚めてきて気がついたら頭がフル回転していて
そのままいろいろ調べ物とかしてしまう悪循環。
前にも書いたけれど、私が仕事以外にしていることは
仕事に差し支えない範囲でする、ということをルールにしています。
でも、趣味だからって好きなようにしていい範囲ではなくなっていることも気づいています。
趣味だったら収支も結果もあんまり考えないでいいかもしれませんが、
なぜか私は最初からそこのところはちゃんとしないといけない、と思ってスタートしています。
どうにもならない赤字を出さないこと。
買った人に満足をしてもらうこと。
がっかりさせないこと。
誰に教わったんだろう、と思うくらいに。
儲けを出すということではなくて、ある程度成り立つ価格や仕組みでないと
それを生業にしている人に失礼だし、そもそも私自身も成り立たないからです。
うまくいえないんだけど。
わたしがいいからいいの、では済まないことをなんとなく感じながらしています。
それに付け加えて、するからには成功させないといやなのです。
それは興関わってくれた人たちみんなに楽しかった、という満足感や達成感をもってもらいたいという意味に変わってきていますが。
仕事の傍らに他の何かをするのは簡単なことではありません。
しかも、最近は誰かに手伝ってもらわないとできないことばかり。
それなら最大限の効果を見込める形じゃないとする意味がないと思っています。
ワークショップだけがしたいわけではないし、
カタログを作りたいわけでもない。
何かをする時には、いろんな人の協力と気持ちが必要で、
だからこそそれぞれの人に満足してもらって、
少しでも何かを得られる機会になったらいいなあと思っています。
それはわたしが偉そうに与えられるものではなくって、
一緒に作り上げることで、それぞれに感じられる何かがあることを
知ったからだと思います。
今いくつかのことを進行しています。
それ以外にもしたいことが幾つか。
頼んでもらっていることも幾つか。
本当に嬉しいことです。
それにしても、楽々と出来ることはなくって、いつまでたっても毎回必死です。
おかしいなあって思っています。もう何回もしていたら、楽々とできるはずなのになあ。
でも、そういえば私のお茶の先生もそう言ってた。
毎回必死だって。出来ることを楽々とするようになりたくない、と先生は言ってました。
確かにそうかもなあと思います。
私は仕事は、ある程度楽々とできないといけない仕事をしています。
どんなシチュエーションでもある一定のクオリティーは楽々とできないといけない。
時々、これは無理だな、というシチュエーションで火事場の馬鹿力を出さないといけないけれど。
自分の中にいくつかのエンジンをもっていることは、私にとっては大切なことだとしみじみ思います。
なかなか動かないエンジンがあって、それを動かすために一番動かしやすいエンジンを
回して温めて、その回転力でなかなか動かないエンジンのギアを上げているような気がします。
とはいえ、したいこととできることのバランスを崩しそうになる最近です。
思い描いていたいくつかは、違う形にしないといけないかなあと思っています。
したいことをがむしゃらにしたいだけするには、いささか遅く、
したいことの本質はなんなのかよく考えないといけない歳になってしまいました。
本質なんていくつになってもわからないけれど、
ただしたいだけなのか、その先に無意識の目的があるのか、
達成感を得たいのか、なにがしたいのか、どうなりたいのかを考えることで
突き進んだり、立ち止まったりできるような気がします。
読み返したら最近繰り返し繰り返し同じことを書いているなあ。。。。
毎日早く寝ようと思って10時には床に就こう、と思うのに
眠い夕方すぎを超えたら、目が覚めてきて気がついたら頭がフル回転していて
そのままいろいろ調べ物とかしてしまう悪循環。
前にも書いたけれど、私が仕事以外にしていることは
仕事に差し支えない範囲でする、ということをルールにしています。
でも、趣味だからって好きなようにしていい範囲ではなくなっていることも気づいています。
趣味だったら収支も結果もあんまり考えないでいいかもしれませんが、
なぜか私は最初からそこのところはちゃんとしないといけない、と思ってスタートしています。
どうにもならない赤字を出さないこと。
買った人に満足をしてもらうこと。
がっかりさせないこと。
誰に教わったんだろう、と思うくらいに。
儲けを出すということではなくて、ある程度成り立つ価格や仕組みでないと
それを生業にしている人に失礼だし、そもそも私自身も成り立たないからです。
うまくいえないんだけど。
わたしがいいからいいの、では済まないことをなんとなく感じながらしています。
それに付け加えて、するからには成功させないといやなのです。
それは興関わってくれた人たちみんなに楽しかった、という満足感や達成感をもってもらいたいという意味に変わってきていますが。
仕事の傍らに他の何かをするのは簡単なことではありません。
しかも、最近は誰かに手伝ってもらわないとできないことばかり。
それなら最大限の効果を見込める形じゃないとする意味がないと思っています。
ワークショップだけがしたいわけではないし、
カタログを作りたいわけでもない。
何かをする時には、いろんな人の協力と気持ちが必要で、
だからこそそれぞれの人に満足してもらって、
少しでも何かを得られる機会になったらいいなあと思っています。
それはわたしが偉そうに与えられるものではなくって、
一緒に作り上げることで、それぞれに感じられる何かがあることを
知ったからだと思います。
今いくつかのことを進行しています。
それ以外にもしたいことが幾つか。
頼んでもらっていることも幾つか。
本当に嬉しいことです。
それにしても、楽々と出来ることはなくって、いつまでたっても毎回必死です。
おかしいなあって思っています。もう何回もしていたら、楽々とできるはずなのになあ。
でも、そういえば私のお茶の先生もそう言ってた。
毎回必死だって。出来ることを楽々とするようになりたくない、と先生は言ってました。
確かにそうかもなあと思います。
私は仕事は、ある程度楽々とできないといけない仕事をしています。
どんなシチュエーションでもある一定のクオリティーは楽々とできないといけない。
時々、これは無理だな、というシチュエーションで火事場の馬鹿力を出さないといけないけれど。
自分の中にいくつかのエンジンをもっていることは、私にとっては大切なことだとしみじみ思います。
なかなか動かないエンジンがあって、それを動かすために一番動かしやすいエンジンを
回して温めて、その回転力でなかなか動かないエンジンのギアを上げているような気がします。
とはいえ、したいこととできることのバランスを崩しそうになる最近です。
思い描いていたいくつかは、違う形にしないといけないかなあと思っています。
したいことをがむしゃらにしたいだけするには、いささか遅く、
したいことの本質はなんなのかよく考えないといけない歳になってしまいました。
本質なんていくつになってもわからないけれど、
ただしたいだけなのか、その先に無意識の目的があるのか、
達成感を得たいのか、なにがしたいのか、どうなりたいのかを考えることで
突き進んだり、立ち止まったりできるような気がします。
読み返したら最近繰り返し繰り返し同じことを書いているなあ。。。。