January

あっという間に毎週が過ぎていってちょっと怖い。でも、まだ1月は1週間ある。
日めくりカレンダーは毎日は捲らなくても、木曜、土曜はめくれるのでいい感じ。このペースだと、わたしは木曜日と週末だけを意識していたら十分みたいです。
週末の土日は二日一緒のデザインで、こんな感じ。これがとても好きなので、ああ、また1週間経ったのか〜、と嫌になる気持ちが軽減されています。いまのところ。
いいことです。
でもそれもきっとそのうち飽きるんです。それも知っている。

わたしはお餅が大好きで。七味醤油に焼きのり、が一番好き。
家族から分けてもらったお餅では足りなくて、ついに買い足してしまった。
でも、お餅って太るんですよね。ここ2年で体重が元に戻って行き過ぎたくらいだから好きなだけは食べてはいけない。
6年くらい前から2年前くらいまでの4年間、とっても細かった。
久しぶりに会う人にはちょっと驚かれるくらいで、むしろどう接してくれるかでその人となりが感じられた気がしてそれはそれで面白かった。結局病名ははっきりつかなかったけど逆流性食道炎のような症状が続いて、あんまり食べられなかった時期が2年くらい続いていました。症状がましになっても2年くらいは細いままでちょうどよかったのに、、、、と、今となっては後半の2年が少し恋しい。
その時感じたのは、痩せた太ったと久しぶりに会う人に言うべきではないということ。体重が増減するのはそれなりの理由があり、本人がダイエットしていると言ってない限り、あまりよくない事情も含まれていたりするから。
その頃、そっと見守って、ちょっと会話がほぐれてきた頃合いに、調子はどう?とか、こういう食べ物もいいよ、とかさりげなく教えてくれた人たちの心優しさに今も感謝しています。わたしもそうありたい。
(太った太った、と悲しんでいた人がすっきりしていたら、痩せた?って聞いてあげるのは大賛成)

1月は自分にあまりプレッシャーをかけないで過ごそうと決めています。
仕事はちょっとひまです。
それも12月から予想ができていたので、まあそんなものかな、と思っています。緊急事態宣言が出ているので、定期検診を積極的に呼び掛けないし、患者さんも控えているようなので、当然暇になるし、それでいいのだと思っています。
歯科医院は(術者の)感染リスクが高い、と言われていましたが、実際のところはわかりません。ウイルスを持っている人の治療をしたら私が感染するリスクは高いだろうな、と思います。問診を積極的にしているけれど、無症状の感染がある以上、そのあたりはお手上げで、運を天に任せるしかありません。
術者から患者さんに感染するリスクはとても低いと思います。患者さんはマスクを外して入るけど、私はずっとマスクとフェイスガードをしているし、あまり喋らないし、飲食もしない。消毒や清掃はこれまで以上にしているし、専用の吸引機も使っているし、道具もこれを機に新しいものに変更したりしています。
去年感染が広がり始めた頃は、なにもかもが手探りで情報もあまりなく、本当に途方に暮れましたが、感染対策をしながらお一人ずつの予約で治療する分には患者さんの安全は守られているんじゃないと思えてきたので、少しだけ気が楽です。
とはいえ、感染状況に右往左往してしまいますが、何かあった時にもある程度安心して通院してもらえる状況を続けることがいま私にできる最善だと信じて、経営のこととか今後のとか、そういうのは脇に置くことにしています。
小さな医院でよかった。そう思っています。

去年の非常事態宣言のときは、毎日が嵐のような心境だったので、とてもじゃないけどステイホームな心持ちではなかった。休業要請が出なかったから通常の診療を続けなければいけなかった。もちろん、休むという選択肢もあったけど、新米院長にはそんな決定をする勇気はなくて、感染が始まる前から継続中の治療のみを患者さんと相談して続ける、という道を選びました。
そしてそのかたわらで、本を作っていました。
その頃は、わたしは過去のものを整理して選んで送るのが主な作業で、作っていたのは編集さんとデザイナーさんなのだけど。10年分の写真を見るのはなかなか辛かった。作業としてたくさんだから辛いのではなくて、そこには振り返りたくない過去もあるわけで、夜寝る前にその作業をすると眠れなくなることも多々ありました。
あの選択は間違っていたな、とか、どうしてああしかできなかったんだろう、とか、あの時は本当に楽しかったなあ(涙)とか。まあ、状況が状況なのでいいことよりも悪いことばかりに目がいく。
そんな気持ちを露知らず(と思うけど、どうかわからない)の、制作メンバーがよいところを掬い取ってくれてできたのがamenoteです。
本を作っていた時のことはほとんど書き留めていないので、この日記に少しずつ書けたらいいな、と思っています。

本文と写真が無関係に進んでいるけど、これは今日の部屋のヒヤシンス。気がつくと開花直前でした。
もうそろそろ慣れてもいいはずなのに、やっぱり変わらずたまらない気持ちになる。今日のこの姿は今だけ。咲きかける直前の美しさも、咲きかけも、満開も、咲き終わりも、ずっと毎日たまらない。

すべてのことも同じ。
この光、この並び、この会話、この気持ち。
ヒヤシンスはわかりやすくそのことを教えてくれているのだと思う。

1月は勤めてゆっくりしてなにをしているかというと、どんな風に過ごすのが理想なのかできる範囲で実体験してみています。
好きなものに囲まれて、それを楽しむ。
好きなものってなに?楽しむってどう?
それがわかったら、それを続けられる方法を考えられる。
3年ほど自分のことを後回しにして、そういう感覚を忘れて機械的に生きている部分が増えているので、自分の部屋や生活を新しい目で見るようにしています。
当たり前のお茶の時間。もう日常になってしまった特別な香りや美しいもの。
積み重なって普通になった姿もいいけれど、もう一度特別な感じを取り戻したい。

これは2週間くらい前の写真。
整理中に椅子の上に積み上がったものの感じがたまらなく好きで撮った一枚。
とはいえ、これがどうたまらなかったのか、実は今日の私はもう少し忘れかけてます。椅子の上のものはそりゃ素敵だけど、背景含めていいなあ〜と思ったはずなのです。今は、むむむ、ごちゃごちゃしているなあ、と思う。笑。
なので、こういうのがちゃんと自覚して日常になったらいいな、と思って過ごしています。うまくいえないけど。