地味な日記

むしむしむしむしむしむしむし
今年の夏はあまり暑くないけれど、
ちょっと蒸し暑すぎないだろうか、、、、
熱がこもってしんどいことの多い日が続きます。
昨日は久しぶりにひとりでぶらぶら。
休みの日に部屋にいるのは大好きだけど、あれもしなきゃこれもしなきゃ、
あそこもぐちゃぐちゃのままだしなあ、と
なにもしないまま気持ちだけが焦って終わってしまうので
思い切って出かけるのはいいなあと思う。
友達と一緒もとっても楽しいし、一人の時間も楽しい。
いろいろしたいことを考え中。
あまり、macやiPadに向かう時間を増やしたくないので、
ぼんやり頭の中で組み立てる。
と、かいていたのは22日のこと。

びっくりするくらい体調の悪い土日を過ごして、ようやく人心地ついた月曜日です。
本当にびっくりした。
とにかくしんどくてしんどくてしんどくてしんどくて、どうしようかと思いました。
最初は脱水症状かと思ったけれど、よくわからず、
結局はどうも疲労と夏バテみたい。
無理をするのが普通だった数年のせいで、すっかり無理する癖がついているみたいです。
なにかしていないと気が済まない。
時間がもったいない、そう思っているみたいです。
とはいえ、もとの体力がないだけで、人様よりがんばっているわけではないのだけど。
もう少し時間と体力の使い方を変えないといけないのかもなあとぼんやり思っています。
それにしても、iPhoneの電源をいれる気もならないほどしんどいのは入院してたとき以来。
しかも、原因が分からないから不安は増すし、休日で病院はしてないし、
はたして病院にいくべきなのか、このまま休んでいたらよくなるのかも分からないし、
ちょっとましになった瞬間をみつけてタクシーで実家に帰ったけれど、
しんどいのはわたしで、それはだれにもどうにもしてもらえないことで、
そういうときは思考回路もちょっとおかしくなるのか、
最後のときっていうのはきっとこんなののもっとすごいのなんだろうなあ、とか思う訳です。
そういうときに思い出すのは、普段はあまり思い出さないようにしている
亡くなる直前の母のことで、
母はどんなことを思いながら過ごしていたんだろう、と思ってしまう。
まだまだ生きるつもりだったのか、それとも本当にぼんやりとそのままで生きていたのか。
深刻な話をするのはためらわれる感じだったから、毎日ばかばかしい話をしながら、
ただ毎日同じように過ごしている振りをするかのように過ごしてしまったけれど、
ほんとうのところは最後までよくわからなかったなあ。
でも、きっと母のなかにもこんな気持ちはあっただろうな、と想像したりしていました。
それを知らんふりしたのは、きっといいことだったんだろう、とも思っています。
子供の頃から、乗り物酔いはすぐするし、すぐしんどくなってぎりぎりになってしまうから、
そういうときにやいやいといわれるのがどんなにつらいことかだけは
身にしみているので、そういう人が身近にいたらとりあえずそっと見守ることにしています。
相変わらず、わたしの家族は具合が悪かろうがなんだろうが、やいやいと怒り、
文句を言っていたけれど、あれもまあ心配の裏返しなんだろう、と理解することにしていますが。
もうこんなにしんどくなるのはいやだけど、こんなことを思い返したり、
自分の生活を見直すのにはまあ必要なのかもな、と
起きたことはなんでもいいように考えるようんしいている次第です。
なんだか暗い話になってしまいましたが、わたしは元気です。