4月も終わっていこうとしています。
長い長い一月でした。
毎日はあっという間だったのに、なんでだろうなあ。
いろんなことがあった毎日でした。
で、またいろんなことがある毎日なんだろうな。
私は「日常」が好きです。
その日常がなくなってもう4ヶ月近く経つのかあ、と思っているところ。
なかなか長い。
これまでの経験の全部をつぎ込んで、この毎日と向き合っているけれど、
わたしの経験はある期間の非常事態を乗り切る、という感じのものだから
ずっとこれを続けていけないな、と悟った4月の終わりです。
これまでの経験だと、準備を前倒ししていくと、どうにかなるのだけど
それは本番や締め切りや終わりがあるものの時は有効で、
今回はそのやり方だと限界があります。
少なくとも今年いっぱいはずっと毎日は新しいと思うから、
自分の心持ちを変えないとなあと思います。
歯科の仕事はずーっと続けているので、仕事の範囲では日常が保てているのが救い。
仕事場のレイアウトが変わったり、おいてある場所が変わったことは
改善という形での変化だし、一緒に働いてくれている女の子が
とても一生懸命サポートしてくれているので心強い。
訳がわからないうちに毎日が過ぎていく、というのが私にとって最悪の状況ですが、
今の所それはなく過ごせているので、多分よくやっている、はず。
連休までは、と思って頑張ってきたので、連休前半は一休み。
初日は気がついたら1日が過ぎていて、笑
その分、日曜日は友達と外の世界をたっぷり楽しんできました。
気づけば、GWは毎年京都に遊びに行っている気がする。
ふるどうぐ市に会いたい人たちが来るから、それで3年ほど続けていっていたのだろうな。
あと、やっぱり気候がいいから、暑い時や寒い時には足が向かないお店にいくいい機会。
約一年ぶりの紫竹に。
ずっときになっていた紫竹エリアだけど、私の地図にはない場所だったので
(反対側の一乗寺はまだ土地勘があるけれど、、、)
いけそうにないなあ、と思っていたら、去年設計士さんが連れて行ってくれたのでした。
設計士さんのお友達のお店がいくつかあって、
わたしは去年そこですごくいい時間を過ごさせてもらいました。
あの時の感覚があるから、いろいろ乗り越えてこられたと思う。
だから改装と引き継ぎが終わったら、絶対また行きたかったのです。
ヴィーガンとか、そういうことじゃなくって
スイーツとかそういうことでもなく、
もう食べ物としてこんなにおいしいものに出会ったのは初めて!
と去年感動して、記憶の中で美化されているはずのロウケーキは、
やっぱりとっても美味しかった。
スターダストは宇宙のようで、かなさんは天使みたい。
そして自力で到達した紫竹は意外と近かったので、また行けそう!
私の地図の中に書き込まれました。
こうなると、大阪の中崎町より近い存在です。
(中崎町はいつまでたってもよくわからない)
そして地図を眺めていたらカマタ店、という不思議なお店も歩いて行けそうだったので、
はしご!
ここもまたすごかった。。。。
まったくの別宇宙でした。
わたしもあのくらい前に出てもいいのかも!と思ったくらいです。
(直前は、かなさんのような天使になりたい、ともだえていたのに!)
でもどちらの場所も、どちらの方々も、好きなことを臆することなく
自分の表現で表しているから心地いいんだろうな。
とっても大切なことを再度学んだ気持ちです。
そして行って見たかった京都小慢にも。
台北とはまた違った雰囲気で、2年前にお茶会でお目にかかった
小曼先生にもお会いできて嬉しかった。
お茶はずっと好きで、ずっと続けていて、
今はジャンルレスで楽しんでいます。
嗜好品ではなくなってきた感じ。
自分の体調や気持ちをコントロールするのに頼りになる存在だから
ご飯に近い感じです。
だからなのか、今は形はどうでもいいかもなあ、と思っています。
コーヒーもチャレンジしたいし、一番したいのはハーブのこと。
去年までのように、あれもこれもできないことが身にしみてきたから、
そろそろ今年の目標をちゃんと定めたい。
そして5月からはIGよりもこの日記と医院のHPをしっかり書いて行きたい、と
思っています。

あっという間にまた1ヶ月

またあっという間に1ヶ月経っていました。
あっという間だったような、すごく長い時間がたったような。
大きな出来事がありました。
父が始めた歯科医院を引き継いで、一応院長になりました。
(でもべつにそれは今の所あまり変化はありません)
歯科医師であることをインスタグラムに書きました。
わたしにとってはこっちの方が大きな出来事だったかもしれない。
だって、ずっと仕事のことは書いてこなかったから。
仕事のことを書かなかったのにはいくつか理由があって、
複雑に絡まっているから一言では書けないけれど、最初の頃は
何をしていたって私は私なんだから、仕事のことは聞かないで!と思っていました。
それにインスタグラム自体、今よりももっと匿名性が高かった。
でも途中から、正確には5年くらい前からは、いつかは趣味のことと仕事のことを
一つにしよう、と心に決めていました。
仕事はもうすでに10年以上休まずずっと続けているから、
私にとってはある程度ルーティーンです。
どんなに調子が悪くても合格点を出す方法が身についていると思います。
うまく言えないけれど、それが仕事というものなんだな、といろいろ経て
そう思うようになりました。
遊びに行って具合が悪くなって仕事を休むようなことがあってはいけないように、
趣味のせいで仕事に支障をきたすわけにはいきません。
amelaboのことをはじめたとき、仕事の支障をきたさない範囲で、と自分なりにルールを
決めました。
そもそも振り返れば、私がamelaboとして初めて個展をした2013年は
体を壊して入院したのちで、そのリハビリも兼ねていました。
入院することが決まる前に秋に個展をさせてもらうことが決まっていたので
とても迷ったけれど、入院は8月だし、個展は11月ならちょうどいいはず!と
決心したことを覚えています。
得意なことなら、どんなことになっていても頑張るだろうと思ったのです。
実際、退院後はなかなか体力が戻らなくて、仕事に復帰するのにも
すごく時間がかかりました。
個展をすると決めていなかったら、自分になかなか鞭打てなかったのではないかと
思います。
一番辛かった時期は、石鹸を作ったり、得意なパッケージのことしながら過ごし、
ちょっと良くなってからは仕事を午前だけ復帰して、午後は個展の準備をしていました。
そうそう、本当は大阪の職場にも少しは戻るつもりだったけれど、
なかなか目処も自信もがつかなくて、結局そのまま戻れなかった。涙
話せばものすごーく長くなりますが、
amelaboのことをしながらわたしはいろんなことを克服しようとしていました。
その頃、一度は雇われとは言え院長をしたこともあり、
まあまあ一通りは一人前にやっとなったところだったのもあって、
仕事は体力が戻ればどうにかなるだろうと思えたけれど、
肝心な体力と気力が、思った以上に損なわれました。
そのとき、この不自由な時間を利用して、好きなことを頑張って、
どうにか元の元気な自分を取り戻そう、と思ったのです。
2015年くらいまで、私の活動はそんなリハビリ的な意味合いが強かったです。
2016年は随分体力も回復し、仕事の分量を多くし、amelaboはワークショップを始めました。
そして2017年は年始に翌年に院長交代することを決めて1年を過ごしていたので、
できる全てをしよう、と心に決めていました。
仕事は変わらずしながら、阪神百貨店のお仕事と、時折ワークショップ、
そして東京での催事参加、そして改装の打ち合わせや準備。
立ち止まるのが怖くて走り続けているような1年でした。
と、本題に入る前に長くなりすぎてしまい、何が書きたかったのか
よくわからなくなって来た。笑
改装は不安でいっぱいだし、手続きも大変だったし、
そしていろんな環境を整えるのも(お知らせのものとかHPとか)も
十分ではないけれど、4月にスタートなんだから、その時に公表しよう!と
決めてほぼ見切り発車で仕事のことも書きました。
仕事は仕事、趣味は趣味というスタンスでしていくには私にはどちらも大切すぎるからです。
言葉を返せば、私は自分が思っている以上に仕事が好きだということです。
つづく
週の頭に、少しホッとする時間があって、
週の半ばで、ちょっと目処が見えて、
週の終わりに、調子を崩して、
週末でどうにか持ち直した、目まぐるしい週。
先週は濃かった。
先週も、というべきか。
木曜日に、ちょっと長いトンネルを抜けた気分になったけど、
気分だけだったなあ。
まだまだまだまだまだ終わらない。
土曜日は久々に、こりゃあかん〜となって、鍼の先生のところに駆け込み、
ゆっくりしたらよくなるよ、といってもらって、
ゆっくりってどのくらいだろうと思ったけど、そりゃ数時間ではなかった。
だいたい、一度調子が悪くなったら、一度眠らないとリセットできない。
昼間の用事を済ませた後は、ひたすらごろごろして、早く寝て
12時間くらい眠って目覚めたら、まあまあ元気な自分が帰って来ていた。
よかった!
これはおととしまでのパターンなら、さらに具合が悪くなっているコースでした。
そして、今日はとりあえずあんまり苦手なことを自分にさせて追い込むのはやめよう、と
比較的好きな作業をひたすら。
そんなことばっかりしていると、自分が内向きになってきますが、
忙しかった間に、なんとなく聞き逃していたこととか、引っかかっていたことを
作業しながら思い出したりする。
あれ?なんであんなこと言ったんだろう、とか、言われたんだろう、とか。
そして今は内と外を分けている時期なんだなあと、なんとなく納得する。
身動きが取れないぶん、冷静になれることもあるし、
近視眼的になることもあるから、決めつけてはいけないけど、
小さな点が線になることがいくつかあって、
ちょっと残念なこともあったし、ちょっと嬉しいこともあった。
また少し時間が経ったら変わることもあるだろうけど、
ここでひとつ自分の中で線引きをしておいたら、またいつかのように
無駄に傷つくこともないな、と納得させながら、
ひとつふたつ、内だと思っていたものを境界と外へ。
そして内側の面積を広げながら、少し定義も変えておく。
これでしばらくうまくいくといいな、と願いながら。
大きなターニングポイントのときに、いつもこの作業をしているような気がします。
私は共感も大好きだけど、同時に違和感も大事にしています。
なんでそんなこと?と思ったことは、ずっと覚えている。
頭より心が覚えているようで、だいぶ経ってから思い出したり、
あの時の違和感はこれか〜と思ったり、
いつまでもそう思えなくて、時々取り出して来てまた眺めたりしてる。
自分でもしつこいなあ、と思う。
考えても仕方のないこと、と思ったらすっぱりと忘れてしまうのに、
違和感というのはなかなか忘れないようで、そんな自分が興味深いです。
理解できないこと、には自分の伸び代があるような気がするのかもしれません。
自分とは違う、と切り捨ててしまってはいけないような気がして、
何度も何度も戻って見に行ってしまう。
いくつかのことはそうやって克服して、自分の視野を広げることができたからかもしれません。
さて、泣いても笑ってもあと2週間。
今週の半ばまでにしてしまわないといけないことがある。

気づいたらひと月日記を書いていない!
記憶喪失の日々は続いていて、昨日より一昨日の記憶の方が明確だったり、
さっきのことを忘れたり、昔のことを思い出したりしています。
真冬の作業だったから、毎日毎朝、これでもかと防寒して仕事をしていたのだけど、
はっとしたらもう町の人たちは一番重たいコートは着てなくて、
先週はちょっと恥ずかしい気持ちになりました。
うっかりダッフルを着てでかけてしまった。
まだまだその渦中にいるけれど、きっと先週がその台風の目の中だったのか、
もしかしたら今がそうなのか。
自分では冷静なつもりなのに、振り返ったらとてもとても冷静でなかったりして
いろいろとショックなような面白いようなそんな毎日です。
一足先にたくさんお花をいただきました。
とーっても綺麗で、ほんとうに嬉しかったけれど、
楽しむ余裕がなく過ぎていくのが切なくて、
春の訪れを感じると、気持ちは焦り、
先週末、久々にとーっても寒くなって少しホッとしたくらい。
そうそう、まだ冬と一緒にがんばりたい。春は晴れやかに迎えたい。
そう思えば思うほど、気持ちも体も硬くなるものです。
とはいえ、この日々はあと少し耐えたら過ぎ去っていくタイプのものではありません。
わかっていたけれど、私はこういう時間を非常事態のように過ごしてしまう癖がある。
どうにかやりきればいい、と思ってしまうけど、
この時間はやり過ごせる長さではないし、やり過ごしてしまったらもったいないから
楽しまないと!と、ちょっと我に返った感じです。
そんなことは先輩が前もって言ってくれてたのになあ。
ということで、久々に土日が休みで、お天気も良く、土曜日を思う存分ダラダラ過ごし、
ちょっと自分を取り戻しています。
そうそう、先は長いからこのくらいの感じで行かないともたないし、
もったいない。
ここ数年は、同じようなことを繰り返して精度を高めているような感じでした。
仕事も趣味も人間関係も。
うまくいった経験、うまくいかなかった経験、積み重ねる信頼関係、もう踏みたくない地雷。
あれ?あのときどうだっけ?っと思ったらもう一度戻って見直しに行けるような
そんな状況でした。
それはわたしにとってはとても快適です。
知っている、ということほどの安心感はなく、知らない、というほどの不安はないなあ、と
改めて思います。
今もまだぎりぎり「知っている」の続きにいるけれど、もう少し先に行くと
「しらない」の連続になりそうで、ちょっと足がひるみますが、
それは「怖い」ではなく「楽しい」なんだよ!といろんな人がいろんな形で教えてくれているような気がするし、
まあ行かないといけないなら、怖がっても仕方ないので楽しもうとやっと思えたところ。
今年は仕事でも変化の年ですが、amelaboも変化の年です。
イベントとかそういうことはまーったく考えてないし、予定もないけれど
念願だった「書く仕事」を初めてさせてもらっています。
1月2月はただただ夢中で書きましたが、3月改めて、その嬉しさを噛み締めながら書いています。
何が伝えたいのか、自分が今までどうしてきたのか。
それを書かせてもらうって本当に本当に嬉しい。
去年の阪神百貨店のお仕事も、本当にありがたかったなあと改めて思っています。
誰にでもできることじゃないから楽しんでおいで、と言ってくれた先生がいますが、
そのときは、なんだかよくわわからないし、期待に答えられないかもしれないし、
何をやっているのかよくわからないし、私じゃなくてもいい気がするし、、、、と
あれこれ思っていて、誰にでもできることじゃない、という言葉を額面通り受け止められなかったけれど、
振り返ってわかることは、「したい!といってできることじゃないんだから楽しんでおいで!」ってことだったのね、と理解できた気がします。
私じゃなくてもいい、というのは自分の中に常にある不安です。
わたしより素敵な写真を撮る人はたくさんいるし、
わたしより素敵な文字を書く人はたくさんいるし、
わたしより素敵なことを知っている人はたくさんいる。
だから、自分じゃなくってもいいんじゃないかなあ、と本気でいつも思ってしまって、
期待に答えたくて120%頑張ってしまう、という感じがします。
いつまでたっても楽々なにかができるようなことはないんだろうな。
それはこの先もずっと変わらないし、自分にしかできない!と思い始めたら
私の良さは随分となくなるような気もしますが、そろそろ少しくらいいいところを認めてあげてもいいのかなとも思っています。笑
とはいえ、わたしにとって仕事のベースは楽々できていなければいけない類のものです。
それがないと安心してもらえないし、楽しんでもらえない。
環境が変わるにに、いまのままだと私は毎日ベースの部分でもどぎまぎしそうなので
いまうちにベースを作っておかないと!
と、また自分を追い込むのでした。笑
昨日は久々に2時間時差の友達とfacetime.
2年連続で桜を見に来ていたから今年は来ないのがお互い寂しくてたまらない。
信仰心が厚く、スピリチャルなことも好きな彼は、しばしば不思議なことをいうし、
思いがけないことを拙い英語で言ってくれたりしてびっくりするのだけど、
わたしはそれを半信半疑でも受け止めることにしています。
信じてないだろうけど、まあ見ててごらんよ〜というように笑っているのも嬉しいこと。
昨日は今年を占ってくれて、一生懸命通訳してくれた。
ああ、そうねそうよ!と半分寝ぼけながらだけど、笑うしかないような内容で、
自分が抱えているものは、自分がだめなんじゃなくて宿命みたいなもんだと思わせてくれるなら
占いっていいもんだなあ、と思います。
そういう悪い癖とか、年回りみたいなものがあるんなら、それとうまく付き合って行く方法を探すことは
悪いことではない気がします。
来年か今年の冬にはまた会いに行くし、僕らはちゃんと仕事を軌道に乗せてNYかロンドンで待ち合わせしようよ!と言ってくれると、不思議と叶う気もしてくる。
ということで、明日からの毎日のために今日できることをしなければ。

毎日が記憶喪失

毎日の記憶が曖昧で恐ろしい。
その時その時は冷静なつもりなだけに、振り返った時に、
あれ?なんも覚えてない!あれは昨日?今日?ってなってびっくりする。
テンパっている時にそうなるのは仕方ないんだけど、、、
おかげで時間の流れ方もいつもと全く違っていて、
長いのか短いのかよくわからない。
わあ〜〜〜〜となりながらも、多分、後からきっとゆっくり振り返れる。はず。
写真は残っている。
私があたふたしたところで、できることは限られているのに
本当に今これをしないといけないの?と思いながら部屋の整理をしたり、
溜め込んだ紙ものを整理して、?となってますが、
まあ、この先そんなことする余裕ないだろうからきっと必要なこと。
仕事場のことは否応なくずっとしていかないといけない。
しばらく自分のことはあまり構えなくなると思うから
環境を整えるいい機会です。
3週間、あっという間。
梅田に2回、ミナミに1回、神戸に2回、IKEAに3回行ったのが精一杯で、
福岡なんて行けるはずもなかった。(行くつもりやったんか!)
しかも、この連休は知らない間に時間が経っていて、
丸一日分の記憶が曖昧。多分余程疲れてたんだと思う。
明日からは機械も入っていて、あと2日もすれば完成します。
そこから少しだけ時間をかけて、飾ったり、飾ったりする楽しみがある。

このキャビネットは、今の部屋に引っ越すことが決まって必死で探して買ったもの。
とっても気に入っています。
でも、この部屋にあるのはあと数日。
仕事場に持って行く予定です。
ここしばらくはディスプレイではなく、ぎっしり物が入って収納棚と化していたので
最後に本来の役目を。
仕事場に行ったらしっかりディスプレイを頑張ってもらいます。
この部屋に引っ越す時に、この棚と机を買ったのでした。
そのあとに、本棚。それからPCを置いているテーブル。
それから椅子。
テーブルはもちろん部屋にあるけれど、椅子のいくつかは出張。
テーブル周りの主役だったものたちにも行ってもらう予定です。
だから、今の部屋のこの景色は後数日。
明日あたりちゃんと撮らないと、、、、
新しいものは極力買わないで、今愛用しているものを部屋から放出する感じで
準備してきました。
それでも、買わないといけないものだらけなんだけど。
新しく買ったものもいくつか。
どーしてもいつか自分の部屋につけたいと妄想していたものをいくつか。
そして委ねている部分があるから、そこは私にもわからないお楽しみの部分。
でも、きっととても私らしい空間になると思います。
とっても楽しみ。
家族にもきてくれる人たちにも友達にも気に入ってもらえますように!

毎日現場をのぞいているので、皆さんの働きぶりをしって、
大変な仕事だなあと思います。
0から作る方が楽なんだろうな、とも思います。
みなさん、一生懸命してくださって、本当にありがたい。
こんなに丁寧に作ってもらった、手作りの仕事場。
今度は私がここで一種懸命働くことで返していかないとなあと思います。
プロであること、というのをこの数年ずっと考えています。
自分が写真家だと言えば写真家だし、
作家だと言えば作家の時代です。
でも私はそれにはすごく違和感がある。
肩書きは、プロでないと名乗ってはいけない気がする。
じゃあ、プロってなんだ、ってことになる。
資格を取ったらプロなのか。
それは間違いではないけど、正解じゃないと思う。
資格を取ってもプロと呼べるレベルになるのには鍛錬が必要。
じゃあ、どこからがプロかと言えば、どんなことにも対応できるようになって、
求められることができるだけじゃなくて、こちらから相手が望んでいるであろうことを
読み取って提案して形にできるのがプロだと思う。
だから、自分ができることだけをしている人はプロではないと私は思っています。
ただそれが好きなだけか、上手なだけ。
私はプロでいたい。
自分の仕事でも、amelaboとしても。
数日前、ちょっとびっくりするようなことがあった。
仕事の依頼をもらったけど、私が何をしているのか多分理解してくれていなかった。
びっくりする、というよりは悲しかった。
そしてこれまでの自分がいかに恵まれてきたのかを知りました。
もちろん無意識にでもそんな思いがあって、常にハードルが高いところで
個展やイベントをさせてもらってきました。
先生たちにはなかなか合格点はもらえないから、
そうやって成長させてもらってきたのだと思う。
なんでもやるべきだと思うけど、わたしにはもうそんなに自由にしている時間はなさそうだから
しばらくは親しい人たちと確実にできること、そしてちいさくてもぎゅっと詰まったこと、
緩急をつけて楽しんでいこうと気持ちを新たにしました。
ふう、それにしても明日から日曜日まで、きっともうスピードだろうなあ。
もう開き直ってカメラマンになって楽しもう!